ジェームズ・ファルコナーさんからのお答え
この質問への答えは、簡単です。つまり、神は地獄は造られませんでした。「地獄とは、神の愛から隔離されている状態」、或いは「私たちが罪を犯し神にそむいた時に私たちが作る状態のこと」を言うからです。
末日聖徒イエス・キリスト教会を設立した預言者ジョセフ・スミスは、次のように述べています。
「地獄に落ちるとはどういうこのなのか?それは神の戒めに従順でなかった者の社会に行くことだ。」(教会歴史、554)
神は御子イエス・キリストを通して、神の御許に戻る方法、つまり罪の状態から恵みと栄光の状態に私たちを回復してくださる方法を私たちに与えてくださいましたが、私たちの意志に反して強制的に御許に戻されることはなさいません。もし私たちが罪から離れるチャンスを与えられた時、罪に留まることを私たちが選んだら、そうさせてくださいます。別の言葉で言うと、神から放れて、地獄にいることを無理には止められないということです。
だけど、聖典は時々、「地獄」という言葉をある場所を指して使っていて、こういう場合の使い方では、この言葉はさまざまの意味合いをもっているんです。旧約聖書と新約聖書の中でヘブル語とギリシャ語の両方の言語で、「地獄」というのは単に「死者が住む場所」という意味で使われてます。その見方で言うと、時々この言葉は、「神の戒めに不従順な人が復活を待っている間にいる場所」という意味でモルモンは使っています。そういう人たちが悔い改めて神に立ち返るなら、それができるように、そこにいる間、彼らもイエス・キリストの福音を聞く機会があるんです。 Read more
ジェームズ・ファルコナーさんからのお答え
教会歴史の初期から末日聖徒(モルモン)は、教育に重点を置いてきました。教会が正式に設立された2年後の1832年、末日聖徒イエス・キリスト教会の最初の預言者ジョセフは次のように述べました。
「また、あなたがたに一つの戒めを与える。あなたがたは互いに王国の教義を教えあわなければならない。熱心に教えなさい。そうすれば、わたしの恵みがあなたがたに伴うであろう。それは、理論において、原則において、教義において、福音の律法において、あなたがたが理解する必要のある神の王国に関するすべてのことにおいて、あなたがたがさらに完全におしえられるためである。また、天のこと、地のこと、地の下のこと、かつてあったこと、現在あること、すぐにも必ず起こること、国内にあること、国外にあること、戦争と諸国民の混乱、地上にある裁き、国々と王国に関する知識についても同様である。」(教義と聖約88:77-79)

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、モーセ、イザヤ、エレミヤ、ペテロ、ヤコブ、パウロといった聖書の預言者と使徒たちを尊敬しています。また末日聖徒は、現代においても主は預言者や使徒を召しておられると信じています。神が選ばれた現代最初の預言者はジョセフ・スミス(1805-1844)です。
さらにモルモンは預言者や使徒に加えて、他のすべてのクリスチャンが信じているように「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。」(1テモテ2:5)と信じています。ですから末日聖徒は、真実、真心から永遠の父なる神を、その御子イエス・キリストのみ名を通して礼拝しています。ですから誰であっても、その人が何か特別なことをしたとしても人を拝むことはしません。 Read more

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え
末日聖徒は、西暦を使っています(1582年に確立されグレゴリオ暦としても知られている)。教会員は一般的にそれぞれ住んでいる国の祝祭日を祝っています。もちろん多くの人が祝っている誕生日や結婚記念日や家族や友人の間で祝う特別な日などに加えて、クリスマスや復活祭も祝います。でもこの二つの祭日は歴史上実際にイエス・キリストの誕生日や復活の正確な日ではないですけれど、このこれらの崇高な出来事を祝えることに感謝しています。それから教会歴史上重要な開拓者記念日として7月24日はユタ州では州の祝日になっていて、ブリガム・ヤングがソルトレーク盆地に到着した日を記念して、パレードやいろんな催しがあります。けれどこれは宗教的なお祭りではなく、ユタに州を建てた日として祝っているんですよ。
地域や国によって違いますが、ユタ州の教会では1829年5月13日の神権回復記念日、1830年4月6日の教会設立記念日、また1805年12月23日のジョセフ・スミス生誕記念日などが祭日ではありませんが、特別な日として考えられています。アロン神権がバプテスマのヨハネによって回復されたことの記念行事として教会で「お父さんと息子のキャンプ」とか特別な活動をすることが多いです。
それから教会員は年に二回、4月と10月の第一週に行われる年次総大会の土曜日と日曜日は、家族や友人で集まって教会幹部のお話を聞いたりします。最後に末日聖徒は、毎週日曜日(イスラエルでは土曜日、イスラム教国の幾つかは金曜日)を最も大切な主の安息日として、教会で日曜礼拝をしますが、これは週の第一日目に神によってイエス・キリストが復活なさったことを記念してイエスの復活後、礼拝の日が週の第一日目になったんです。安息日は教会員にとって、とても大切な聖なる日で、他の祝祭日とは異なって、地元の教会堂で神を礼拝する日、善を行う日、また安息日に適切な活動を通して家族と交わる日になっています。
カレン・マークリーさんからのお答え
あなたは自力で真理を知ることができます。それは可能です。確実に知ることができるんです。この世に生まれてきた目的を知り、そのために生きることができるのです。
現在の世の中で、真理を知るのはやさしいことではありません。しかし不可能ではないのです。私たちは生まれながらにして真理を認識する能力を持っています。その知識は識別できるもので、実在する絶対的なものです。多くの人々が言うように、すべての知識は他のものと同じように社会的に構成されるものではなく、相対的な観念でもありません。真理は非常に大切なものです。真理は存在します。ですから、知性や心で真理を知りたいと思うなら、あなたは正しい方向に向いているのです。真理は私たち神の子らに御霊の声、つまり神の声によって与えられるものなのです。.
何が真理かを知りたいと思う時、その真理に関してできるだけ知ろうとして本を読んだり、考えたり、思いめぐらしたりして真理を探し求めますよね。そしてその努力をしている中で、私たちに理解を力を与えてくれるキリストの光によって教えを受けるのです。自分の能力を超える方法で考えや思いがつながる時、そしてそれが自分が理解できる言葉で、疑う余地もなくはっきりと、外から発せられた啓示によって与えられたことがわかる時、その明るい光が飛び込んでくるのがわかります。私たちが知ったことに基づいて行動することによって、私たちはさらなる光へと導かれるのです。 何かが真実かどうかを知りたいならば、そのことについてよく考えた後に、神に祈り求めてください。ひざまずいて、知りたいこと、読んだり学んだりしたことから自分がたどり着いた結論、そしてそのことが真実であると確認してくださるのか、またはそうではないと言われるのかを、御父と率直にお話ししてください。ジョセフ・スミスを通して私たちに与えられた近代の啓示である教義と聖約の中で、主はその規範を示しておられます。この聖文の中で主は、私たちが祈りによって主との会話をもつ時に、答えを与えてくださると言われました。もし私たちが尋ね求めていることが正しいことであるならば、主は「あなたの胸を内から燃やそう」といわれました。ということは、つまり主は心の中にそれが正しいという感じ、それを認識し、与えられた答えについて考えるときにますます大きくなる感じを与えてくださるのです。一方、求めていることが正しくないならば、「このような感じを少しも受け」ないで、それを忘れたり長く考えることができなくなると、主は言われています。こうして、自分が達した結論や考えが真実か偽りか、正しいか間違っているかを心と知性で知ることができるんです。(教義と聖約9:7-9参照)
私はこれが主の規範であることを証します。私自身、これを自分の生活に応用して、仕事や家庭において、また奉仕する時に、主の導きの御手を感じたことが何度もあります。主の導きや答えを喜んで受け入れる気持ちがあれば、自分の無能さを嘆く必要はないのです。主はその御心を私たちに知らしめることがおできになります。主は私たちの心をどのように動かしたらよいかをご存知なのです。はっきりと教えてくださるように求めるならば、そしてこのようなやり方に不慣れであることを謙遜に認めるならば、寛大に応えてくださいます。主は「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。」(ヤコブ1: 5)と教えておられるのですから。
主の使徒であるダリン・H・オークス長老は、末日聖徒イエス・キリスト教会の第178回総大会で、真理を知ること、つまり個人の証を得ることについて具体的に話をしました。(以下を参照してください。)
追加資料:
ダリン・H・オークス、2008年4月総大会での説教、「リアホナ」、2008年5月号、http://www.ldschurch.jp/Members_Liahona.phpを参照。
カレン・マークリーさんからのお答え
モルモン、または末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、最近アメリカ国内や海外のメディアが盛んに報道しているテキサスの一夫多妻宗派とは、全く何の関係もありません。断固として申し上げますが、現在一夫多妻制を実行している人々はモルモンではありません。そのような人々は原理主義者、または今日の救い主の教えに反する他の宗教団体の会員で、イエス・キリスト教会とは全く関係のない人々です。これはテキサスの一夫多妻宗派にしても他のアメリカ西部や世界の各地に存在する分派にしても同じことです。
末日聖徒イエス・キリスト教会の広報担当者マイク・オッターソン氏が述べているように、過去にもこのような違いを明確にしました。そしてメディアや事実を知りたいと思うすべての方々に、真実の教義と世界中のモルモンが何を実施しているかを、お伝えしたいのです。
従って、メディアと一般の方々にお願いいたします。どうぞ現在一夫多妻制を実施している人々について述べる場合には、「モルモン」と「一夫多妻」、そして「ファンダメンタリスト(原理主義者)」という言葉を切り離して使っていただきたいのです。これは私たちの信条と法律の両方にとっての違反行為ですから。
現代の私たちに与えられた救い主の教えには、男と女との間の一夫一婦の結婚が含まれています。また同性愛を克服したいと望む人々へのフェローシップの手を差し伸べるものの、同性間結婚にも反対しています。
その他の資料:
末日聖徒イエス・キリスト教会広報担当マイク・オッターソンの ビデオクリップ (英語)[http://youtube.com/watch?v=9OqdOM9udv4]をご覧ください。
カレン・R・マークリーさんからのお答え
モルモンの女性は主の御業、家族、地域社会、世界において、重要な役割を果たします。初期の末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長、ブリガム・ヤングは次のように述べています:
私たちが実に真実だと信じていることがあります。それは女性は相手の男性の誇りだということです. …
母親や姉妹たちに任されている義務や責任、そしてその及ぼす影響についてよく考えてみると、彼らは私たちが地上に存在するための原動力であり魂となる人々だと思います。男が最初に創られたのは確かです、… けれども母なるエバが創られると、エバは[父なるアダム]に大きな感化力をもっていました… (Discourses of Brigham Young(ブリガム・ヤング説教集)、ジョン・A・ウィッツォー選 [1954年]、199).
女性は、教会内で子供のための初等協会、若人のための若い女性、そして成人女性のための扶助協会の地元、地域、あるいは全世界の組織で、会長やその顧問として奉仕します。このような女性たちは評議会の中で、神権者の兄弟たちと共同で、問題を特定してそれを解決し、奉仕する教会員のための様々なニーズに応える努力をします。教会の集会で祈り、神殿での儀式に参加し、王国を築くためのあらゆる価値ある業に参加します。モルモンの女性は家庭において、聖なる召しを受けた母親として子供たちを導き、教え、養います。また地域社会における奉仕を通して世の人々を教化します。教会での女性の役割に対する誤解は、自身を知らない人々や家長制度は事実上女性を押さえつけることだと主張する人々が引き起こしたものです。これは誤った考え方です。威圧的な制度は(それが父長制または母権制であっても)人々を押さえつけるものですが、このような制度はイエス・キリストの福音の教義には存在しません。男子家長制は権力の不正な乱用とは同義語ではありません。男女平等に力を出すために組織化された聖なる規範なのです。
神会を構成する御三方は一つの目的を持っておられますが、永遠の父なる神、御子であり私たちの贖い主イエス・キリスト、そして聖霊の3人の別個の方々です。このような神会に対する概念は、古代ならびに近代の啓示、そして1820年に天父と御子がジョセフ・スミスに姿を現されたというモルモンの信仰に基づいています。
カレン・マークリーさんからのお答え
3人の別個のお方
よくお尋ねくださいました。私自身、モルモン(末日聖徒イエス・キリスト教会の会員)になる前、このことを知りたいと思っていました。アタナシウス信経(アタナシウス信条)を唱えるたびに、三人一体の神という考え方が納得できなくて頭を掻いていました。どうしても、理解できなかったんです。でも知りたかったんです。とうとう最後に神に尋ねてみようと心に決めました。ロンドンのホテルの部屋の真ん中で、すべてを中断して、ひざまずいて、どうぞ神会についての混乱を拭い去ってくださいとお祈りしました。祈っていると、すぐさま電気がついたような気がしました。御霊を通してメッセージを受けたんです。それはこうでした、「簡単なことさ、私はお前の父だ、イエスは私の息子、聖霊は私たち二人についての証言をするのだ。」 私は新しいメガネをかけがような気持ちで、立ち上がりました。神とイエス・キリストと聖霊は別々のお方であることを知ったのです。後で、こういう考え方のみならず、神とイエス・キリストと私との関係についての混じりけのない完全な真理が、末日聖徒イエス・キリスト教会で実際に教えられていることを知ったんです。
神は存在するのでしょうか?
あなたは一体神が存在するのかしらと思っているかもしれません。もしそうなら、私も一時はそうだったんです。神が生きておられるのかどうかわからない時期がありました。孤独で、自分の目的は何だろうと感じていました。自分が存在している目的や心に深く抱いている疑問の答えを得ることはないのだろうかと、絶望感を持った時があったんです。これらの答えが得られないまま、生きようとする意欲は薄らいでいきました。世間は冷たく、無意味に見えました。あなたも同じように感じているかもしれません。自分がなぜ地上に生きているのかを知らなければ、どうして毎日を生き続けることができるだろうかと思っていました。
謎を解く鍵を持っていなかった私は、ベッドの上に座って、睡眠薬のビンを見つめていました。その時、驚くことが起きたんです。愛深い天父が今だからそれが御霊だとわかるものによって、やさしく深遠な印象を心に授けてくださったんですね。「これまでの人生に愛と発見があったことは、無駄ではなかった、そして行き続ける勇気を持たなければならない」という心温まるささやきを受けました。また、人生の目的を見つけることができると、実際、霊が約束してくれたんですよ。私の魂のスクリーンに現れたこれらのことを完全には理解できませんでしたけど、でも、確信をもって私が受けた印象を受け入れることができました。
それからの数ヶ月間、私は自分の人生について深く考えていました。ある日、満月の美しい月の光の中、自宅付近をジョギングしていました。すると、真理の注入を受けたとでも言いましょうか、神が生きておられるという驚くべき、すばらしい証を得たんです。私は歩道の縁石に腰掛けて、喜びの涙にむせんだのを覚えています。その時私は一瞬にして変わりました。愛されていると感じ、今まで感じたこともなかった、人を愛したいという強い気持ちを感じました。ついに、私は人生の目的を持つことができたのです。それは言葉には表わすことができないほどすばらしいことでした。あなたも、自分で神が生きておられると知ることができますよ。
それから私は、神について、神が私のためにどんな計画を持っておられるのか、神や他の人たちに対して私はどんな責任や義務を持っているのかを、もっと知りたいと切望しました。この話の続きは、このビデオクリップ.をご覧ください。
関連する聖句
使徒17: 29: この聖句には、私たちは父なる神の子孫であると断言しています。
教義と聖約130: 3 主ご自身が神会のお三方が別々であることを証し、お三方が人の心の中に住まわれるという考えは誤りであると言われました。
ヨハネ14:23 御父と御子はその言葉を守った人々を愛し、その人のところへ行くと約束されています。
モーセ1:3-6, 39 神の目的は、私たちに幸福と永遠の命をもたらすことです。
マタイ3:13-17 イエスがバプテスマを受けられたとき、神会の一人一人のお方が別々に現れています。
ヨハネ14:6-10 御子イエス・キリストに従うことで、御父を知ることができます。お二人は別々のお方です。
使徒7:55-56 ステパノは聖霊に満たされて、イエスが神の右に立っておられるのを見ました。
2ニーファイ31:18 この聖句は聖霊の役割を明記し、その役割は御父と御子の役割とは異なっていることを区別しています。
教義と聖約76:20-24 ジョセフ・スミスは御父の右に御子を見たことを証言しています。
その他の資料
末日聖徒イエス・キリスト教会の公式サイト:www.mormon.org and www.lds.org.
“What Do Latter-day Saints Believe about the Godhead?” 末日聖徒に関するよくある質問ウェブサイト、BYU Studies
記事:
• 「神権に関する知識を喜びとする」
「リアホナ」、2005年2月号、25 または「Ensign(英文)」、2005年2月号、65 私たちは神会の本質について何を知っているのでしょうか?神会について知ることで、私たちはどのようにお三方に近づけるのでしょうか?
• 「御父と御子と聖霊」
ゴードン・B・ヒンクレー「リアホナ」、1998年3月号、2-9;または「Ensign(英文)」、1998年3月号、2-7) 御父と御子と聖霊の間には完全な一致があるために、このお三方は一つの神聖な神会として結ばれているのです
• 「Apostasy and Restoration(背教と回復)」
ダリン・H・オークス、「Ensign(英文)」、1995年5月号、84-87 ほかのキリスト教宗派と同じように、私たちは御父と御子、聖霊から成る神会を信じています。しかしながら、神会のこれらお三方は三人の別個のお方であることを証しします。
• 「Fruits of the Restored Gospel of Jesus Christ(イエス・キリストの回復された福音の実)」
ジョセフ・B・ワースリン、「Ensign(英文)」 1991年11月号、15-17 [福音の]顕著な原則の一つは、神会の特質に関する真の概念です。
• 「Touchstone of Truth(真実の目安)」
ジョン・H・バンデンバーグ、 「Ensign(英文)」、1974年5月号、11-13イエスは神なる御父、神なる御子、神なる聖霊の本性、すなわち形も本質も別個のお方であられるお三方について教えられたことは疑う余地はありません。

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え
末日聖徒は現在でも、旧約聖書に由来する「聖会」として知られている特別な集会を開きます。でも他のクリスチャンも「聖会」と呼ぶにふさわしい集会をしていますよ。それは、聖書の中にちゃんと書かれているからなんです。でもモルモンが「聖会」を開く理由は、ただ古代の聖典にそう書かれているからそうしているんではなくて、主から戒められたからなんです(教義と聖約88:70を参照してください)。
教会最初の大管長だったジョセフ・スミスは1836年3月27日、米国オハイオ州のカートランドに最初に建てられたモルモンの神殿の献堂式で、「聖会」を開くようにという主からの導きを受けました。この特別な集会が開かれる時、教会幹部はその召されている職に対して教会員の支持を受けます。神殿が献堂される時に、こういう特別な集会を持つという習慣と同じように、教会では新しい預言者を支持するために聖会を持つ習慣が続いているんですよ(教会の総大会がこの聖会に相当します)。後には、教会の指導者が教会員に特別な指導を与えたい時にも聖会が開かれるようになりました。
現代では、教会員は教会指導者の指示に従って聖会に出席します。こうした特別な機会に招かれて主のみ前に教会員が皆集まって、聖会に出席する教会員のただ中に主がいらっしゃるんだということを思い出させることにも役立ってるんですよ。
青だけの信号なんてどこにもないし、パンがいつまでたっても焼きたてということもない。タイヤはパンクするし、請求書は山となるし、人は病気もすれば、どんなに若くても死んでしまうことさえある。人は暗中模索して苦しみにあがく。飢えに見舞われることさえある。戦争はいつまでたっても終わらない。
悲痛は人生につき物です。この死すべき世で人が成長するためにすべての物事には反対がのものがなければらなないという、モルモンの人生観は、預言者を通して主が明らかにされたことです(第二ニーファイ2:11)。けれども試練による悲しみは、イエス・キリストの贖いの力を通して取り去ることができます。モルモンは、救い主が死なれたのは、私たちの罪を代価を払う為だけでなく、ご自分の身に私たちの悲しみ、悲痛、弱さを引き受けて、希望と慰めをあたえてくださることを信じています。(アルマ書7:11-12) Read more

