Archive for the ‘モルモンの信条’ Category

神が善であるなら、なぜ地獄を造られたのですか?

金曜日, 6 月 6th, 2008



ジェームズ・ファルコナーさんからのお答え

この質問への答えは、簡単です。つまり、神は地獄は造られませんでした。「地獄とは、神の愛から隔離されている状態」、或いは「私たちが罪を犯し神にそむいた時に私たちが作る状態のこと」を言うからです。

末日聖徒イエス・キリスト教会を設立した預言者ジョセフ・スミスは、次のように述べています。

「地獄に落ちるとはどういうこのなのか?それは神の戒めに従順でなかった者の社会に行くことだ。」(教会歴史、554)

神は御子イエス・キリストを通して、神の御許に戻る方法、つまり罪の状態から恵みと栄光の状態に私たちを回復してくださる方法を私たちに与えてくださいましたが、私たちの意志に反して強制的に御許に戻されることはなさいません。もし私たちが罪から離れるチャンスを与えられた時、罪に留まることを私たちが選んだら、そうさせてくださいます。別の言葉で言うと、神から放れて、地獄にいることを無理には止められないということです。

だけど、聖典は時々、「地獄」という言葉をある場所を指して使っていて、こういう場合の使い方では、この言葉はさまざまの意味合いをもっているんです。旧約聖書と新約聖書の中でヘブル語とギリシャ語の両方の言語で、「地獄」というのは単に「死者が住む場所」という意味で使われてます。その見方で言うと、時々この言葉は、「神の戒めに不従順な人が復活を待っている間にいる場所」という意味でモルモンは使っています。そういう人たちが悔い改めて神に立ち返るなら、それができるように、そこにいる間、彼らもイエス・キリストの福音を聞く機会があるんです。

復活の後、ほんのわずかの人以外すべての人類は、報いと栄光の状態に住むようになりますが、皆が神のみ前に住むことはできる訳じゃないです。教義と聖約76章には、復活後の幾つかの栄光の王国の状態が説明されています。(「教義と聖約」、「聖書」、「モルモン書」、「高価な真珠」は、末日聖徒イエス・キリスト教会の正典です。モルモンウィキの「聖典」と「日、月、星の栄えの王国」も参照。)イエス・キリストを通しての救いを受け入れなかったので神のみ前に住めない人々は、苦痛や苦難からは解き放たれますが、神から分離します。その神から離れているという意味で地獄という言葉が使われるのですが、罰を受けるという意味じゃないんです。

最後に、「地獄」という言葉は、「聖霊に対する赦されない罪」を犯した本当に極わずかの人の置かれる究極の状態を指しています(マタイ12:31)。「それは、彼らが聖なる御霊を受けた後にそれを否定したため、また御父の独り子を否定したため、また独り子を自ら十字架につけて公に辱めたためである。」(教義と聖約769:35-36)と書かれている通りです。でも、私たちはこの状態も神が罰として宣言されたり神によってその人に加えられた状態だとは考えていません。むしろそれは、「罪の意識による自責の状態」だということです。ジョセフ・スミスは、「人は自らを苦しめる者であり、自らを罪に定める者だ。それゆえに、“彼らは火と硫黄で燃える池に入る”と言われるのだ。この人の心が失望の責め苦を味わうことは、火と硫黄で燃える池のように、強烈な苦痛だからだ。」と言いました。(ジョセフ・スミスの教え、357、モルモンウィキ「外の暗闇」と「地獄」も参照。)

「地獄」という言葉は、異なる内容で異なった意味を持っています。でも、どの意味でも、何か神が造られたものではなくて、私たちの不従順によって自ら作り出す状態のことなんです。

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モルモンは教育の必要性についてどのように見ているのですか?

木曜日, 5 月 1st, 2008



ジェームズ・ファルコナーさんからのお答え

教会歴史の初期から末日聖徒モルモン)は、教育に重点を置いてきました。教会が正式に設立された2年後の1832年、末日聖徒イエス・キリスト教会の最初の預言者ジョセフは次のように述べました。

「また、あなたがたに一つの戒めを与える。あなたがたは互いに王国の教義を教えあわなければならない。熱心に教えなさい。そうすれば、わたしの恵みがあなたがたに伴うであろう。それは、理論において、原則において、教義において、福音の律法において、あなたがたが理解する必要のある神の王国に関するすべてのことにおいて、あなたがたがさらに完全におしえられるためである。また、天のこと、地のこと、地の下のこと、かつてあったこと、現在あること、すぐにも必ず起こること、国内にあること、国外にあること、戦争と諸国民の混乱、地上にある裁き、国々と王国に関する知識についても同様である。」(教義と聖約88:77-79)

1843年にはもう一つの啓示が与えられました。「人が無知で救われることは不可能である。」(教義と聖約131:6)
この教育に関する強調は、モルモンの文化から消えることはありません。十九世紀から二十世紀にかけての末日聖徒イエス・キリスト教会の著名な指導者の一人、オーソン・F・ホイットニーは1888年に次のように述べました。「“人はすべて学んだことで、物事を理解するものだ”という考えは、ソロモンの知恵の真珠の一つにも劣らないモルモンの信条だ。」現在、教会が運営するブリガム・ヤング大学(以下BYUと略)学長のシーソル・サミュエルソン長老は、BYUの女学生に教育についての講話の中で、学生たちに次のような勧告を喚起しました。「わたしたちの神学の基本は、“神の栄光は英知である。言い換えれば、光と真理である。”(教義と聖約93:36)ということです。その必然的結果である教義は、何であれわたしたちの益になる知識や理解や知恵或いは“英知の原則”をこの世で得ることは、復活の時に私たちと共によみがえることになります。」(参照聖句:「そこで、もしある人が精励と従順によって、この世でほかの人よりも多くの知識と英知を得るならば、来るべき世でそれだけ有利になる。」教義と聖約130:19)

けれども、モルモンは教育を積極的に捕らえている一方で、俗世での教育は救いとは救いに直接関わらないことも認識しています。救いは、神の事柄を知ることでもたらされます。モルモン書には、神の前に謙遜であること、従順、バプテスマ、聖霊の賜物、そして最後まで堪え忍ぶことを聖約することが必要であると書かれています。モルモン書はこれらの事柄は「キリストの教義」(2ニーファイ31:21)であると定義しています。これらの事柄は、救いに必要な事柄であることを実践を通して知り、その実践こそが救いに必須なのです。けれども、世俗の事柄と神の事柄を学ぶことは、いずれも重要なことで、特に神につける知識はさらに重要です。モルモン書は、学問があることよりも、神の勧告に従うことはさらに優れたことだと明解に指摘しています。モルモン書には次のように書かれています。「しかし、神の勧告に聴き従うならば、学識のあるのはよいことである。」(2ニーファイ9:29)

追加資料:
J. Reuben Clark. “The Charted Course of the Church in Education.” In J. Reuben Clark: Selected Papers on Religion, Education, and Youth, edited by David H. Yarn. Provo, Utah: BYU Press, 1984.

Spencer W. Kimball. “Education for Eternity.” Pre-school Address to Faculty and Staff, September 12, 1967. BYU Speeches of the Year 1967-1968, 1-20. Provo, Utah: Brigham Young University, 1968.

Hugh W. Nibley. Approaching Zion. Provo, Utah: Foundation for Ancient Research and Mormon Studies, 1989.

John W. Welch & Don E. Norton. Educating Zion. Provo, Utah: Brigham Young University, 1996.

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モルモンはジョセフ・スミスを崇拝しているのですか?

木曜日, 5 月 1st, 2008

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、モーセ、イザヤ、エレミヤ、ペテロ、ヤコブ、パウロといった聖書の預言者と使徒たちを尊敬しています。また末日聖徒は、現代においても主は預言者や使徒を召しておられると信じています。神が選ばれた現代最初の預言者はジョセフ・スミス(1805-1844)です。

さらにモルモンは預言者や使徒に加えて、他のすべてのクリスチャンが信じているように「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。」(1テモテ2:5)と信じています。ですから末日聖徒は、真実、真心から永遠の父なる神を、その御子イエス・キリストのみ名を通して礼拝しています。ですから誰であっても、その人が何か特別なことをしたとしても人を拝むことはしません。

末日聖徒は、聖書の預言者や使徒のようにジョセフ・スミスが主のみ名によって語る為に神から召されたことを信じていても、どんな人でも罪や間違いを犯すようにジョセフ・スミスも完全ではない人間であったことを認めています。彼が主から得た啓示の中で、主はジョセフに何度も悔い改めなさいと戒めていらっしゃいます。けれど神はすべての男女誰にでもイエス・キリストの贖いの血によって赦すことを約束していらっしゃるように、ジョセフにも、同じ約束をしていらっしゃいます。ジョセフ・スミス自身このように言いました。「救い主は、私たちの益になるもの中で何事にも匹敵することのない永遠の命の言葉を持っておられる。」(ジョセフ・スミスの教え“Teachings of the Prophet Joseph Smith” [Salt Lake City: Deseret Book, 1976]、364)

ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒たちは、それぞれ古代の預言者を個人の伝統の中で敬う精神を持っています。けれどもモーセやパウロのことは知っていて彼らについては他の使徒や預言者の生涯よりも学んでいるように思われます。これと同じように、末日聖徒も、ジョセフ・スミスの生涯や教えについては他の多くの預言者や使徒よりもさらに知っているように思えます。ジョセフ・スミスが聖徒たちの間で特別に考えられているのは、モルモンはキリストが「王の王」そして「主の主」(黙示録19:16)として治めるために勝利を以って再臨される世界の歴史上、宗教的な意味での最終の章を開く目的でジョセフがイエス・キリストから聖任され、神から召されていることを信じているからです。モーセのようにこのユニークな役割は、主の訪れを受けたということ、主の民を約束の地へ向かっての大いなる動きを導くこと、主を礼拝する為に聖なる神殿(神聖な場所)を確立すること、そして聖なる聖典としていまや明らかにされた主のみ言葉を保存することが含まれます。

ジョセフ・スミスは、現代における主の証人で、次のように証しました。「そして今、子羊(主)についてなされてきた多くの証の後、わたしたちが最後に子羊についてなす証はこれである。すなわち、「子羊は生きておられる。」わたしたちはまことに神の右に子羊を見たからである。また、わたしたちは証する声を聞いた。すなわち、「彼は御父の独り子である」」(教義と聖約76:22-23)

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真理を知ることはできますか?

木曜日, 4 月 24th, 2008

カレン・マークリーさんからのお答え

あなたは自力で真理を知ることができます。それは可能です。確実に知ることができるんです。この世に生まれてきた目的を知り、そのために生きることができるのです。
現在の世の中で、真理を知るのはやさしいことではありません。しかし不可能ではないのです。私たちは生まれながらにして真理を認識する能力を持っています。その知識は識別できるもので、実在する絶対的なものです。多くの人々が言うように、すべての知識は他のものと同じように社会的に構成されるものではなく、相対的な観念でもありません。真理は非常に大切なものです。真理は存在します。ですから、知性や心で真理を知りたいと思うなら、あなたは正しい方向に向いているのです。真理は私たち神の子らに御霊の声、つまり神の声によって与えられるものなのです。.
何が真理かを知りたいと思う時、その真理に関してできるだけ知ろうとして本を読んだり、考えたり、思いめぐらしたりして真理を探し求めますよね。そしてその努力をしている中で、私たちに理解を力を与えてくれるキリストの光によって教えを受けるのです。自分の能力を超える方法で考えや思いがつながる時、そしてそれが自分が理解できる言葉で、疑う余地もなくはっきりと、外から発せられた啓示によって与えられたことがわかる時、その明るい光が飛び込んでくるのがわかります。私たちが知ったことに基づいて行動することによって、私たちはさらなる光へと導かれるのです。 何かが真実かどうかを知りたいならば、そのことについてよく考えた後に、神に祈り求めてください。ひざまずいて、知りたいこと、読んだり学んだりしたことから自分がたどり着いた結論、そしてそのことが真実であると確認してくださるのか、またはそうではないと言われるのかを、御父と率直にお話ししてください。ジョセフ・スミスを通して私たちに与えられた近代の啓示である教義と聖約の中で、主はその規範を示しておられます。この聖文の中で主は、私たちが祈りによって主との会話をもつ時に、答えを与えてくださると言われました。もし私たちが尋ね求めていることが正しいことであるならば、主は「あなたの胸を内から燃やそう」といわれました。ということは、つまり主は心の中にそれが正しいという感じ、それを認識し、与えられた答えについて考えるときにますます大きくなる感じを与えてくださるのです。一方、求めていることが正しくないならば、「このような感じを少しも受け」ないで、それを忘れたり長く考えることができなくなると、主は言われています。こうして、自分が達した結論や考えが真実か偽りか、正しいか間違っているかを心と知性で知ることができるんです。(教義と聖約9:7-9参照)
私はこれが主の規範であることを証します。私自身、これを自分の生活に応用して、仕事や家庭において、また奉仕する時に、主の導きの御手を感じたことが何度もあります。主の導きや答えを喜んで受け入れる気持ちがあれば、自分の無能さを嘆く必要はないのです。主はその御心を私たちに知らしめることがおできになります。主は私たちの心をどのように動かしたらよいかをご存知なのです。はっきりと教えてくださるように求めるならば、そしてこのようなやり方に不慣れであることを謙遜に認めるならば、寛大に応えてくださいます。主は「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。」(ヤコブ1: 5)と教えておられるのですから。
主の使徒であるダリン・H・オークス長老は、末日聖徒イエス・キリスト教会の第178回総大会で、真理を知ること、つまり個人の証を得ることについて具体的に話をしました。(以下を参照してください。)
追加資料:
ダリン・H・オークス、2008年4月総大会での説教、「リアホナ」、2008年5月号、http://www.ldschurch.jp/Members_Liahona.phpを参照。

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モルモンは神会についてどう信じているんですか?

月曜日, 4 月 7th, 2008

神会を構成する御三方は一つの目的を持っておられますが、永遠の父なる神、御子であり私たちの贖い主イエス・キリスト、そして聖霊の3人の別個の方々です。このような神会に対する概念は、古代ならびに近代の啓示、そして1820年に天父と御子がジョセフ・スミスに姿を現されたというモルモンの信仰に基づいています。

カレン・マークリーさんからのお答え

3人の別個のお方
よくお尋ねくださいました。私自身、モルモン末日聖徒イエス・キリスト教会の会員)になる前、このことを知りたいと思っていました。アタナシウス信経(アタナシウス信条)を唱えるたびに、三人一体の神という考え方が納得できなくて頭を掻いていました。どうしても、理解できなかったんです。でも知りたかったんです。とうとう最後に神に尋ねてみようと心に決めました。ロンドンのホテルの部屋の真ん中で、すべてを中断して、ひざまずいて、どうぞ神会についての混乱を拭い去ってくださいとお祈りしました。祈っていると、すぐさま電気がついたような気がしました。御霊を通してメッセージを受けたんです。それはこうでした、「簡単なことさ、私はお前の父だ、イエスは私の息子、聖霊は私たち二人についての証言をするのだ。」 私は新しいメガネをかけがような気持ちで、立ち上がりました。神とイエス・キリストと聖霊は別々のお方であることを知ったのです。後で、こういう考え方のみならず、神とイエス・キリストと私との関係についての混じりけのない完全な真理が、末日聖徒イエス・キリスト教会で実際に教えられていることを知ったんです。

神は存在するのでしょうか?
あなたは一体神が存在するのかしらと思っているかもしれません。もしそうなら、私も一時はそうだったんです。神が生きておられるのかどうかわからない時期がありました。孤独で、自分の目的は何だろうと感じていました。自分が存在している目的や心に深く抱いている疑問の答えを得ることはないのだろうかと、絶望感を持った時があったんです。これらの答えが得られないまま、生きようとする意欲は薄らいでいきました。世間は冷たく、無意味に見えました。あなたも同じように感じているかもしれません。自分がなぜ地上に生きているのかを知らなければ、どうして毎日を生き続けることができるだろうかと思っていました。

謎を解く鍵を持っていなかった私は、ベッドの上に座って、睡眠薬のビンを見つめていました。その時、驚くことが起きたんです。愛深い天父が今だからそれが御霊だとわかるものによって、やさしく深遠な印象を心に授けてくださったんですね。「これまでの人生に愛と発見があったことは、無駄ではなかった、そして行き続ける勇気を持たなければならない」という心温まるささやきを受けました。また、人生の目的を見つけることができると、実際、霊が約束してくれたんですよ。私の魂のスクリーンに現れたこれらのことを完全には理解できませんでしたけど、でも、確信をもって私が受けた印象を受け入れることができました。

それからの数ヶ月間、私は自分の人生について深く考えていました。ある日、満月の美しい月の光の中、自宅付近をジョギングしていました。すると、真理の注入を受けたとでも言いましょうか、神が生きておられるという驚くべき、すばらしい証を得たんです。私は歩道の縁石に腰掛けて、喜びの涙にむせんだのを覚えています。その時私は一瞬にして変わりました。愛されていると感じ、今まで感じたこともなかった、人を愛したいという強い気持ちを感じました。ついに、私は人生の目的を持つことができたのです。それは言葉には表わすことができないほどすばらしいことでした。あなたも、自分で神が生きておられると知ることができますよ。

それから私は、神について、神が私のためにどんな計画を持っておられるのか、神や他の人たちに対して私はどんな責任や義務を持っているのかを、もっと知りたいと切望しました。この話の続きは、このビデオクリップ.をご覧ください。

関連する聖句
使徒17: 29: この聖句には、私たちは父なる神の子孫であると断言しています。
教義と聖約130: 3 主ご自身が神会のお三方が別々であることを証し、お三方が人の心の中に住まわれるという考えは誤りであると言われました。
ヨハネ14:23 御父と御子はその言葉を守った人々を愛し、その人のところへ行くと約束されています。
モーセ1:3-6, 39 神の目的は、私たちに幸福と永遠の命をもたらすことです。
マタイ3:13-17 イエスがバプテスマを受けられたとき、神会の一人一人のお方が別々に現れています。
ヨハネ14:6-10 御子イエス・キリストに従うことで、御父を知ることができます。お二人は別々のお方です。
使徒7:55-56 ステパノは聖霊に満たされて、イエスが神の右に立っておられるのを見ました。
2ニーファイ31:18 この聖句は聖霊の役割を明記し、その役割は御父と御子の役割とは異なっていることを区別しています。
教義と聖約76:20-24 ジョセフ・スミスは御父の右に御子を見たことを証言しています。

その他の資料
末日聖徒イエス・キリスト教会の公式サイト:www.mormon.org and www.lds.org.
“What Do Latter-day Saints Believe about the Godhead?” 末日聖徒に関するよくある質問ウェブサイト、BYU Studies
記事:
• 「神権に関する知識を喜びとする」
「リアホナ」、2005年2月号、25 または「Ensign(英文)」、2005年2月号、65 私たちは神会の本質について何を知っているのでしょうか?神会について知ることで、私たちはどのようにお三方に近づけるのでしょうか?
• 「御父と御子と聖霊」
ゴードン・B・ヒンクレー「リアホナ」、1998年3月号、2-9;または「Ensign(英文)」、1998年3月号、2-7) 御父と御子と聖霊の間には完全な一致があるために、このお三方は一つの神聖な神会として結ばれているのです
• 「Apostasy and Restoration(背教と回復)」
ダリン・H・オークス、「Ensign(英文)」、1995年5月号、84-87 ほかのキリスト教宗派と同じように、私たちは御父と御子、聖霊から成る神会を信じています。しかしながら、神会のこれらお三方は三人の別個のお方であることを証しします。
• 「Fruits of the Restored Gospel of Jesus Christ(イエス・キリストの回復された福音の実)」
ジョセフ・B・ワースリン、「Ensign(英文)」 1991年11月号、15-17 [福音の]顕著な原則の一つは、神会の特質に関する真の概念です。
• 「Touchstone of Truth(真実の目安)」
ジョン・H・バンデンバーグ、 「Ensign(英文)」、1974年5月号、11-13イエスは神なる御父、神なる御子、神なる聖霊の本性、すなわち形も本質も別個のお方であられるお三方について教えられたことは疑う余地はありません。

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モルモン教会はアメリカの教会ですか?

火曜日, 4 月 1st, 2008

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え

末日聖徒イエス・キリスト教会は1830年にアメリカ合衆国で設立されましたが、教会歴史にはさまざまな時期があって、19世紀後半の何十年かの発展を見ると、アメリカ以外に住んでいる末日聖徒(教会員の一般的呼称)の数の方が多いんですよ。現在、教会本部は米国ユタ州のソルトレークシティーにありますけど、そこを中心に米国外にある200以上の伝道本部、107カ国以上の言語に翻訳されたモルモン書の配布、世界中にある教育システム、そして米国外に建設された80の神殿などを見ても分かるように、世界的に著しい発展を遂げていて、本当のイエス・キリスト教会が回復されましたというメッセージを世界の隅々まで宣べ伝えています。
また教会の人道支援プログラムを通して世界の人々への援助は、宗教には関わりなく毎年増加しているんですよ。こうした歴史的動きは、イエス・キリストの教会が西暦最初の一世紀にユダヤで始まって以来、その世紀末までには聖地イスラエルで生まれたユダヤ人クリスチャンの宣教師たちの努力によって地中海諸国に伝播していったという教会発展の歴史と何ら違いはないわけです。 Read the rest of this entry »

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「教義と聖約」とは何ですか?

土曜日, 3 月 29th, 2008

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員(教会員はモルモンまたは末日聖徒と呼ばれている)は、他のクリスチャン同様、旧約と新約聖書の両方を聖典として受け入れています。聖書に加えて、末日聖徒は「モルモン書」、「教義と聖約」、「高価な真珠」も正典として教会の標準聖典と考えています。「教義と聖約」が最初に出版されたのは1835年のことで、個々独立した合計138章の文書から成っています。これは時代順に編集されていて、1823年に始まって、1918年に及びます。これに加えて1890年と1978年に発表された教会の新しい方針が「公式宣言」として収録されていて、ジョセフ・スミス(1805年から44年)と彼を継承した教会大管長を通して与えられた啓示とかその他の霊感を受けた文書からの選集です。

聖書が章と節に分かれているように、「教義と聖約」も章と節に分かれています。「教義と聖約」のほとんどは、新約聖書のパウロの書簡のように、その時と文化に特定した教義を扱っているんです。だけど、教会員は、「教義と聖約」には、現代の生活で私たちの神への信仰を強めたり、自分たちの生活の中で主のみ心を成し遂げることを促すインスピレーションになる一般的な原則も含んでいます。

「教義と聖約」は人生の目的とか神ご自身についての現代の弟子の見識を与える教義的教えも書かれているんですよ。たとえば、「神の栄光は英知である。言い換えれば、光と真理である。」(教義と聖約93:36)、「創生の前に天において定められた不変の律法があり、すべての祝福はこれに基づいている。すなわち、神から祝福を受けるときは、それが基づく律法に従うことによるのである。」(教義と聖約130:20-21)

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モルモンは日曜礼拝をしますか?

土曜日, 3 月 29th, 2008

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員(会員はモルモンまたは末日聖徒と呼ばれている)は、週の第一日目の日曜日を礼拝の日とする伝統的なクリスチャンの安息日を慣例として受け入れています。さらに教会員は、週日にも勉強、祈り、教会の集会や活動に参加するために集まります。

過去の権威的な情報がわずかなため、初期のクリスチャンが、週の第七日目に毎週集われていたユダヤ人の安息日を週の最初の日に移した確実な理由についてははっきりといえませんが、ほとんどの学者は、初期のクリスチャンが、神を礼拝しイエスの復活を記念して毎週皆が集まったという事実は肯定しています。結局、これになんら疑問を抱かないまま、4世紀から5世紀の間に、日曜日がクリスチャンの公式の安息日になりました。

モルモンは、ニューヨーク州で1830年に教会が設立された初期の頃から自然に日曜日に礼拝行事をすることにしています。というのは、アメリカ合衆国では、日曜日が礼拝行事をする伝統的な日だったからなんです。でも末日聖徒にとって、教会最初の大管長で預言者のジョセフ・スミスが日曜日を礼拝の日として認可する啓示を受けた時、公式に主からの承認を受けています。その啓示によると、「まことに、この日は、あなたがたの労苦を解かれて休み、いと高き方に礼拝をささげるように定められた日だからである。」(教義と聖約59:10)と主は述べておられます。この啓示を受けたのは1831年8月7日の日曜日だったんです。

それ以来、モルモンは毎週日曜日に礼拝するために教会員は集会を開いていますが、所によって地元の伝統が礼拝行事を別の日にする場合は、例外です。たとえば、イスラエルにいる末日生徒は土曜日(ユダヤ人の安息日)だし、イスラム教国では金曜日なんですよ。

末日聖徒はこんにちでは、週日の仕事から休んで、一日を主を祈りと賛美歌と聖典の勉強をすることで主の果樹園で互いに教え導く日にしています。

追加資料:
クレイグ・ハーリン著:「日曜日:バビロニアからスーパーボウルに至る最初の日の歴史」(Sunday: A History of the First Day from Babylonia to the Supper Bowl (New York: Doubleday, 2007)注:クレイグ・ハーリン博士は、ブリガム・ヤング大学プロボ校の著名な歴史家。

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モルモンは聖書を信じていますか?

金曜日, 3 月 28th, 2008

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え

英語圏のユダヤ人と同じように、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)の会員は、ヘブル語聖書(つまり旧約聖書のこと[注1])を神のみ言葉として受け入れていますよ。他のクリスチャンと同じように、もちろん新約聖書も神のみ言葉として受け入れてます。(日本では日本聖書協会が聖書を出版してますから、モルモン教会では日本聖書協会の出版している口語訳を教会では使ってますが、個人で勉強する時は、自分の好きな聖書協会の他の訳を使ってる人もいますね。もちろんモルモンは、旧約も新約も聖書を神のみ言葉として信じているんです(末日聖徒の「聖典」を参照。「信仰箇条」第八条を参照>]。)

ですけど、クリスチャンが旧約聖書を神のみ言葉が書かれた最後の記録だとは考えてないからこそ、時代がずっと後に書かれた新約聖書も旧約聖書に引き続いて「神との新しい聖約」という意味で旧約も新約の二つともを聖書として受け入れていますね。これと同じように、末日聖徒も新旧約聖書を神のみ言葉として受け入れ、同じ理由で神のみ言葉が書かれた最後の記録だとは考えてないんですよ。モルモンは、注意深く、祈りをもって聖書を読んで勉強して、そこから神様の教えの霊感を学び取るようにしています。だから、聖書は、教会の日曜学校のカリキュラムの常設コースの一部として重要な位置を占めているんです。それに、教会運営の大学では宗教必須科目として取り入れられてます。だからほとんどの末日聖徒は、人生で何回も聖書の学習コースを経験して、知識や証を養って、まじめに勉強すれば聖書は随分ボロボロになるぐらいですよ。

末日聖徒でも聖書研究においての有名大学の大学院レベルでの学位を取る人が随分増えてきてるんですよ。そういう研究者たちは、聖書文学協会(the Society of Biblical Literature)といった国際協会にも加入しています。ほとんどこういう人たちは学者の立場から聖書を読むんですけど、それでも聖書を学ぶ門弟であることには変わりはないですね。そういう人たちも平会員と一緒に、末日聖徒やその他のいわば「本の中の本」である聖書を大切に思っている人たちの為に、この聖書に関しての言語学的、文化的、歴史的或いは文学的観点から注釈書とか研究書を出版しています。

だけど、勉強する上で教会が主に焦点は、イエス・キリストを通しての聖約と贖いを核とするテーマに中心を置いていることす。彼らの個人的、あるいは教会での聖典学習では、教会員は、聖書をどのように生活の中に応用するかって言うことで、例えば結婚生活とか、親としての責任とか、全能の神と自分の関係を築いて維持することとかですね。人生で何かに苦しんでる時とか、人生穏やかじゃない時とか、死に直面した時、末日聖徒は聖書のみ言葉から安らぎを見出します。それから最後に、モルモンは聖書をただ信じてるだけじゃなくて、その教えを通して生活しようとがんばって、聖書を読んでもっと神様と神様の目的について知ろうと努力しているんです。

[注1]旧約聖書は元は、ヘブル語で書かれていたんです。(ダニエル書はヘブル語に関連の深く、ヘブル語と同じアルファベットを使ってるアラム語でバビロンとかパレスチナに住んでいるユダヤ人が採用した言語で書かれていました。)そしてユダヤ人が地中海東部の盆地へ拡散して来た時期、それに伴ってギリシャ語で旧約聖書を作る必要も増加してきました。そこで「70人訳」として有名なギリシャ語訳の旧約聖書が紀元前3世紀から1世紀あたりに出来上がったわけです。一方、新約聖書はギリシャ語で書かれていましたから、「70人訳」のギリシャ語旧約聖書を新約聖書が引用するのは自然の成り行きだったんです。ラテン語が学問のついた人の間の主要言語になったのは紀元4世紀の半ばで、聖ジェロム(St.Jerome)が西方教会で使うためにラテン語に翻訳しました。

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「高価な真珠」という本はどんな本ですか?

月曜日, 3 月 24th, 2008

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え

末日聖徒は他のクリスチャンのように旧約・新約聖書を神のみ言葉である聖典だと信じています。聖書に加えて、イエス・キリスト教会は、「モルモン書」、「教義と聖約」、そして「高価な真珠」も教会の標準聖典、つまり正典として受け入れ、これらも神のみ言葉だと信じています。

「高価な真珠」という題名は、聖書に書かれているイエスさまのたとえ話(マタイ13:44-46参照)から取られているんですよ。ジョセフ・スミス(1805年-1844年)の死後に編纂されて、現在の版には幾つかの霊感に満ちたいろんな文書が入っています。「モーセ書」と「ジョセフ・スミス-マタイ」として知られているジョセフ・スミス翻訳の「創世記」と「マタイ」、「アブラハム書」として知られているジョセフ・スミスが古代エジプトのパピルス紙から翻訳した文書、さらにジョセフ・スミスが1838年に執筆した教会歴史、同じくジョセフ・スミスが1842年に執筆した末日聖徒の中心的信条を13条に成文化した「信仰箇条」などです。

「高価な真珠」は、苦難の存在、邪悪と死、人間の煩悩、そしてイエス・キリストによる救いといった人間が存在する限り誰もが持つ疑問について説いています。この他、この神聖な書物では、アダム、エバ、エノク、モーセアブラハムの生涯と教えも書かれているんです。それから「高価な真珠」には、ジョセフ・スミス個人の経験を簡潔に書いた「最初の示現」(1830年)、「天使モロナイの訪れ」(1823年)、「モルモン書の出現」(1827-1829年)、アロン神権の回復(1829年)といった歴史も載っています。最後に、父なる神とその御子イエス・キリストと聖霊の証とイエス・キリストの贖いの死の中心的役割といったモルモンの信条の中核を著した「信仰箇条」が掲載されています。こういった人類の初めから19世紀に及ぶ歴史の中での聖なる出来事を網羅しているんです。ですからまさしく「高価な真珠」という題名にふさわしい内容なんですよ。

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