モルモンの神殿とは何ですか、参入することで何が得られるのですか?

4 月 2nd, 2008

temple.jpg
末日聖徒イエス・キリスト教会の神殿とは、主イエス・キリストの宮として奉献された建物を言います。神殿の中では救いと永遠の生命に必要な聖なる儀式が執り行われます。それは神聖な建物であり、平安の場、世事からの避所(さけどころ)であり、主のみたまが宿り、主に仕えることによって得られる力を身にまとい、教えを受け、さらには自らとすでに世を去った先祖のために聖約をしてそれを守る場所なのです。
Photo Andrew Skinner

アンドルー・C・スキナーさんからのお答え

末日聖徒またはモルモンの神殿は、神の王国における完全な救い(昇栄とも呼ばれます)に関する神聖な儀式が執り行われる聖なる建物です。末日聖徒は人の命はこの世の後も続き、すべての男女は神が定められた救いの儀式に参画する資格を持ち、参画すべきであると信じているために、自分の救いのための儀式を受けた教会員は、できるだけ頻繁に神殿に参入し、すでに世を去った先祖のためにも身代わりとして儀式を受けるように勧められています。

神はいつの時代であっても常にその民に神殿を建てるようにと命じられてこられたので、末日聖徒はずっと神殿を建てることを最優先してきました。(教義と聖約 124:39参照) ですから、末日聖徒は自分たちが建てる神殿と、古代のイスラエルの民やユダヤ人が建てた神殿との関連性と継続性を感じてきたのです(ソロモンのゼルバベルの神殿やヘロデの神殿)。1830年に、末日聖徒イエス・キリスト教会が正式に組織されてから最初に建てられたのは、オハイオ州カートランド神殿で(教義と聖約109参照)、1836年に奉献されました。

末日聖徒は権限を受けて奉献された神殿は、文字通り主の宮または主の家となり、主が地上に実際においでになって住まわれる場所だと信じています。ですから、エゼキエル書44:9に記されているように、今日の末日聖徒にも、古代イスラエルの人々が神聖な建物に入るときに求められていたのと同じ汚れのなさと神聖さが求められています。神殿は、週日に行われる集会や安息日の礼拝などが開かれる教会堂とは異なっています。教会堂には誰でも歓迎されて入ることができますが、神殿は最高の礼拝様式で、ふさわしいと認可された会員のみが入ることができる、最高の神聖さを保つ場所なのです。

神権者によって奉献された神殿に入るには、神殿推薦状、つまりその会員のビショップまたは宗務指導者が発行する資格証明書が必要です。

神殿は神への至高の礼拝を表わすものなので、人類の昇栄に関する特別な儀式がここで執行されます。参入者は神殿で主の救いの計画や人間の永遠の存在の段階についての教え、そして夫と妻、子供を永遠の家族として結び固める儀式を受けることができます。地上でも天においても、つなぐ力は旧約聖書の預言者たち(その良い例はエリヤです)に与えられていました。(列王記上18)新約の時代にはその力がペテロに与えられました(マタイ16:19)が、現在、その同じ力が預言者や使徒たちに与えられています。ですから、モルモンの神殿は、この地球が創造された目的、つまり結婚や家族生活を育み、家族を永遠に結びつけるという目的のために建てられているんです(教義と聖約2; 49:15-17)。 このような結び固めの儀式についての知識を持ち、それに参加することは、神殿の参入者にとっては安心感と安らぎ、平安という祝福を与えてくれるのです。神殿は平安と清さの場所であるので、心が清くない者は入ることを許されません(教義と聖約97:15-16)。そのために、会員たちは神殿で、特別な、非常に神聖な経験をすることができるというわけです。.

神殿の中では、天の御父と独り子イエス・キリストの特性についてのさらなる洞察を得ます。それにはお二人が私たち一人一人に持っておられる無限の愛や、私たちに授けてくださろうとされている永遠の力と知識などがあります。またいわゆる宇宙とは何かについても学ぶことができます。神殿は地上において神と人とが一つになる所なのです。

個人の責任-カレン・マークリー

makeup-and-mom-024.jpg
私は主の家で霊的に成長することができるような気がします。神殿で奉仕したり礼拝し、神殿に参入することで、神の娘、母親、友として、最高の個人教師に教えられているような気がするんです。神殿は確かに回復されたイエス・キリストの福音の核心であって、美しい神殿の中で行われるすべては主とその贖いにより深く私たちを結びつけてくれます。

きのう、私は神殿ですばらしい経験をしました。その経験についてお話するには、神殿で行われる儀式の一つである結び固め、あるいは永遠の結婚と呼ばれる儀式について説明しなければなりません。私たちはこの儀式を執行する権限が末日聖徒イエス・キリスト教会に与えられていると信じています。とにかく、私たち8人はエレガントなシャンデリアに飾られ、安らぎに満ちた、永遠を思わせる鏡に囲まれた美しい結び固めの部屋へ入りました。私はイエス・キリストの完全な福音を知らずに世を去った先祖のために身代わりとして、永遠の結婚を執り行ったんです。それはこの世のどこにも並ぶもののない崇高な経験でした。そこには一体感、平安、そして主の御霊を現実として感じることができました。結び固め執行者は霊感によって私たちに、また私個人が聞くべきことを話してくれました。その話から、私は救い主の愛を感じ、私を心にかけていてくださることを知ったのです。他の人の救いのために奉仕することで、自身の生活も豊かに祝福されるんです。本当にすばらしいことです。

神の存在を感じる

末日聖徒イエス・キリスト教会が建てた神殿(モルモンの神殿)は、奉献された聖所であり、神の子らとして私たちにその力を授けるために定められた場所です。そして自分は何物なのか、また私たちが主と交わした聖約を守るときにどんな人になれるのかという洞察ができる場所です。また神の御計画について再教育をし、思い出させてくれる場所であり、自分の置かれている境遇を超えて先が見えるように助けてくれる場所なのです。神殿に参入することで、私たちの精神は高められます。

神殿は日曜日の集会所ではありません。末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)のふさわしい会員たちが、イエス・キリストの福音の最高、かつ最も美しい儀式に参加する場所です。それらの儀式を通して、私たちは徐々に主の御前に入る準備ができるのです。

主の御前に入る。これは非常に強力な概念です。私たちは神のみもとに帰るために、つまり文字通り神の御前に再び戻るために、今、地上にいるのです。神殿で私たちは、主と私たちとを隔てている幕を通るのに何が必要かを学びます。主がそばにいていただくことは、何ものにも代えることはできません。ある日、神殿から家に帰る途中である看板を見ました。その看板には大きな太い文字で、: 存在の力と書かれていたんです。私は、それだ、と思いました。主の愛と存在をかいま見、心を動かされ、感動し、身近に感じるとき、最高の喜びを覚えます。この世にこれほどすばらしいものは、他にはないのです。ゴディバのチョコレートや無料のヨーロッパ旅行、金のトロフィー、どんなにすばらしいことを達成しても、この喜びに近づくことも、真似することもできないのです。毎日の生活をしていく上で主の存在を常に感じることはできますが、主の家で聖約を結び、奉仕を行った結果、私たちに与えられる特別大きな祝福があるんですよね。

神殿の儀式

神殿は幸福と救いの計画全体についての教えと賜物が与えられる場所です。その計画とその中の主の役割の概観的な教えを受けてから、私たちは愛と道徳、犠牲の掟を守ることを主に聖約します。その代わりとして主は、霊的な平安、守り、力を与えてくださることを約束してくださるのです。その賜物を受ける備えとして、旧約聖書の時代に始められ、今日地上に回復された準備の儀式、つまり儀式的な洗い清めと油注ぎの儀式を受けます。(レビ8:30) これは美しく象徴的な癒しと洗い清めの儀式です。その時、私たちが交わした聖約を忘れないための特別な下着を授かります。これはモルモンの神殿ガーメントと呼ばれています。エンダウメントを受けた後には、結び固めまたは永遠の結婚という儀式を受けます。これを受けた夫婦は、互いに忠実である限り、永遠に夫婦でいられるのです。世界のどこでも、末日聖徒イエス・キリスト教会の神殿で行われているような祝福は得られないのです!

神殿で私たちは神を崇め、啓示を受け、自分のために儀式を受けた後は、この世からすでに霊界へ行ってしまった人々が同じ愛あふれる福音の祝福を受けられるように、身代わりとして同じ儀式を受けることができます。(1コリント15:29).

私たちが毎日の生活をする中で、カートランド神殿の奉献の祈りの中で与えられた約束、つまり天使がその務めを果たし、私たちが主の宮から主の力を帯びて出て行き、主の栄光が私たちの周りにあるようにという約束が成就するのを感じることができます。(教義と聖約 109:22)

私は神殿が地上でのサタンの力を弱める力を持っていることを知っています。ある種の霊的な免疫と神から与えられる防具のような働きをしてくれます。神殿で神を崇めること、そして救い主と本当の関係を持つ喜びを知っています。私の人生に起こった様々な試練の中にあっても、神殿の祝福の力が癒してくれました。主から来る奇跡によって心がよみがえり、精神が高められました。主の方法で、まず第一に主に仕えるとき、聖文は私個人に向けて話しかけるメールとなり、主の御霊が豊かに与えられます。ちょうど主がノートンのウィルス対策を付けてくださって、時間の使い方を教え、はっきりと物を見る目を備え、自分の能力を拡大してくださるようなものです。また、主の愛を余計にたっぷりと与えてくださるのです。神殿で奉仕という投資をすることによって、これから残りの生涯ずっと神殿の内外で、幕が取り除かれるまで、祝福という利息を受け続けることができます。そして今はおぼろげであっても、その時には、顔と顔をあわせて、見ることができるようになり、今は一部しか知らないことも、完全に知ることができるようになるのです。 (1コリント13:12).

その他の資料

「Why These Temples?(なぜこれらの神殿なのか?)」ゴードン・B・ヒンクレー大管長
「The Holy Temple(聖なる神殿)」ボイド・K・パッカー会長
「A History of Temples(神殿の歴史)」 ジェームズ・E・タルメージ長老

  • Share/Bookmark

モルモン教会はアメリカの教会ですか?

4 月 1st, 2008

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え

末日聖徒イエス・キリスト教会は1830年にアメリカ合衆国で設立されましたが、教会歴史にはさまざまな時期があって、19世紀後半の何十年かの発展を見ると、アメリカ以外に住んでいる末日聖徒(教会員の一般的呼称)の数の方が多いんですよ。現在、教会本部は米国ユタ州のソルトレークシティーにありますけど、そこを中心に米国外にある200以上の伝道本部、107カ国以上の言語に翻訳されたモルモン書の配布、世界中にある教育システム、そして米国外に建設された80の神殿などを見ても分かるように、世界的に著しい発展を遂げていて、本当のイエス・キリスト教会が回復されましたというメッセージを世界の隅々まで宣べ伝えています。
また教会の人道支援プログラムを通して世界の人々への援助は、宗教には関わりなく毎年増加しているんですよ。こうした歴史的動きは、イエス・キリストの教会が西暦最初の一世紀にユダヤで始まって以来、その世紀末までには聖地イスラエルで生まれたユダヤ人クリスチャンの宣教師たちの努力によって地中海諸国に伝播していったという教会発展の歴史と何ら違いはないわけです。 Read the rest of this entry »

  • Share/Bookmark

「教義と聖約」とは何ですか?

3 月 29th, 2008

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員(教会員はモルモンまたは末日聖徒と呼ばれている)は、他のクリスチャン同様、旧約と新約聖書の両方を聖典として受け入れています。聖書に加えて、末日聖徒は「モルモン書」、「教義と聖約」、「高価な真珠」も正典として教会の標準聖典と考えています。「教義と聖約」が最初に出版されたのは1835年のことで、個々独立した合計138章の文書から成っています。これは時代順に編集されていて、1823年に始まって、1918年に及びます。これに加えて1890年と1978年に発表された教会の新しい方針が「公式宣言」として収録されていて、ジョセフ・スミス(1805年から44年)と彼を継承した教会大管長を通して与えられた啓示とかその他の霊感を受けた文書からの選集です。

聖書が章と節に分かれているように、「教義と聖約」も章と節に分かれています。「教義と聖約」のほとんどは、新約聖書のパウロの書簡のように、その時と文化に特定した教義を扱っているんです。だけど、教会員は、「教義と聖約」には、現代の生活で私たちの神への信仰を強めたり、自分たちの生活の中で主のみ心を成し遂げることを促すインスピレーションになる一般的な原則も含んでいます。

「教義と聖約」は人生の目的とか神ご自身についての現代の弟子の見識を与える教義的教えも書かれているんですよ。たとえば、「神の栄光は英知である。言い換えれば、光と真理である。」(教義と聖約93:36)、「創生の前に天において定められた不変の律法があり、すべての祝福はこれに基づいている。すなわち、神から祝福を受けるときは、それが基づく律法に従うことによるのである。」(教義と聖約130:20-21)

  • Share/Bookmark

モルモンは日曜礼拝をしますか?

3 月 29th, 2008

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員(会員はモルモンまたは末日聖徒と呼ばれている)は、週の第一日目の日曜日を礼拝の日とする伝統的なクリスチャンの安息日を慣例として受け入れています。さらに教会員は、週日にも勉強、祈り、教会の集会や活動に参加するために集まります。

過去の権威的な情報がわずかなため、初期のクリスチャンが、週の第七日目に毎週集われていたユダヤ人の安息日を週の最初の日に移した確実な理由についてははっきりといえませんが、ほとんどの学者は、初期のクリスチャンが、神を礼拝しイエスの復活を記念して毎週皆が集まったという事実は肯定しています。結局、これになんら疑問を抱かないまま、4世紀から5世紀の間に、日曜日がクリスチャンの公式の安息日になりました。

モルモンは、ニューヨーク州で1830年に教会が設立された初期の頃から自然に日曜日に礼拝行事をすることにしています。というのは、アメリカ合衆国では、日曜日が礼拝行事をする伝統的な日だったからなんです。でも末日聖徒にとって、教会最初の大管長で預言者のジョセフ・スミスが日曜日を礼拝の日として認可する啓示を受けた時、公式に主からの承認を受けています。その啓示によると、「まことに、この日は、あなたがたの労苦を解かれて休み、いと高き方に礼拝をささげるように定められた日だからである。」(教義と聖約59:10)と主は述べておられます。この啓示を受けたのは1831年8月7日の日曜日だったんです。

それ以来、モルモンは毎週日曜日に礼拝するために教会員は集会を開いていますが、所によって地元の伝統が礼拝行事を別の日にする場合は、例外です。たとえば、イスラエルにいる末日生徒は土曜日(ユダヤ人の安息日)だし、イスラム教国では金曜日なんですよ。

末日聖徒はこんにちでは、週日の仕事から休んで、一日を主を祈りと賛美歌と聖典の勉強をすることで主の果樹園で互いに教え導く日にしています。

追加資料:
クレイグ・ハーリン著:「日曜日:バビロニアからスーパーボウルに至る最初の日の歴史」(Sunday: A History of the First Day from Babylonia to the Supper Bowl (New York: Doubleday, 2007)注:クレイグ・ハーリン博士は、ブリガム・ヤング大学プロボ校の著名な歴史家。

  • Share/Bookmark

なぜジョセフ・スミスは米国大統領選に立候補したのですか?

3 月 29th, 2008

アーノルド・ガーさんからのお答え

ミット・ロムニーが米国大統領選に立候補した最初のモルモンではないと聞いてびっくりする人がいますね。最初に立候補したのは、他ならぬ末日聖徒イエス・キリスト教会の設立者ジョセフ・スミスなんですよ。彼が立候補した動機というのは、1838年にミズーリ州がモルモン撲滅令を出した結果、モルモンはミズーリから追い出されて、持ってた土地や財産を皆喪失して、随分苦しい目に遭いました。それから後、末日聖徒は政府に個人の財産の賠償を願い出たんですが、政府はこれに対してなしのつぶてだったんです(注1:米国では独立戦争の時代から、個人の自由と財産という二つは切っても切れない要素なんです。言い換えると、財産というのは自由の一要素として考えています。こうした政治哲学と倫理観に基づいて建国された国ですから、20世紀を迎えるまではほとんどのアメリカ人は、貧富の差に関わらず、財産権の保護は政府の中心的役割と考えていたんです。政府は税金で財産の一部を取るけれど、その代わりに個人が財産を獲得する権利は政府が守らないといけないという考え方です。)というわけで、ジョセフ・スミスが大統領選に立候補した第一の動機というのは、ミズーリ州で末日聖徒がなめた不法な行為から彼の持てるあらゆる権限で末日聖徒を保護するためだったんです。

1844年2月8日、預言者ジョセフ・スミスはこう宣言しています。「憲法が誰にもでも保証している権利として、私と私の友がアメリカ国民として自分たちの宗教と市民権を悦楽する特権を持つことができたなら、友がわたしの名を米国大統領、或いはその職の候補者としてどのように使ってもかまわない。しかし私たちは最初から人民としてそれを拒絶された。私たちの宗教の故に、迫害は時折、すさまじい雷のとどろきのように、合衆国だというのにその一部から、私たちのこうべに降りかかり、しかもこの政府のいかなる機関も、いまだに私たちの救済に踏み出そうとはしていないので、これらの状況を鑑みて、傷つけられた潔白さを保護するために、この合衆国に於いて法に適って、私が持ち得る影響と権限を得ることは、私の権利と特権であると感じる。」(教会歴史 6:210-11).

  • Share/Bookmark

モルモンは聖書を信じていますか?

3 月 28th, 2008

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え

英語圏のユダヤ人と同じように、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)の会員は、ヘブル語聖書(つまり旧約聖書のこと[注1])を神のみ言葉として受け入れていますよ。他のクリスチャンと同じように、もちろん新約聖書も神のみ言葉として受け入れてます。(日本では日本聖書協会が聖書を出版してますから、モルモン教会では日本聖書協会の出版している口語訳を教会では使ってますが、個人で勉強する時は、自分の好きな聖書協会の他の訳を使ってる人もいますね。もちろんモルモンは、旧約も新約も聖書を神のみ言葉として信じているんです(末日聖徒の「聖典」を参照。「信仰箇条」第八条を参照>]。)

ですけど、クリスチャンが旧約聖書を神のみ言葉が書かれた最後の記録だとは考えてないからこそ、時代がずっと後に書かれた新約聖書も旧約聖書に引き続いて「神との新しい聖約」という意味で旧約も新約の二つともを聖書として受け入れていますね。これと同じように、末日聖徒も新旧約聖書を神のみ言葉として受け入れ、同じ理由で神のみ言葉が書かれた最後の記録だとは考えてないんですよ。モルモンは、注意深く、祈りをもって聖書を読んで勉強して、そこから神様の教えの霊感を学び取るようにしています。だから、聖書は、教会の日曜学校のカリキュラムの常設コースの一部として重要な位置を占めているんです。それに、教会運営の大学では宗教必須科目として取り入れられてます。だからほとんどの末日聖徒は、人生で何回も聖書の学習コースを経験して、知識や証を養って、まじめに勉強すれば聖書は随分ボロボロになるぐらいですよ。

末日聖徒でも聖書研究においての有名大学の大学院レベルでの学位を取る人が随分増えてきてるんですよ。そういう研究者たちは、聖書文学協会(the Society of Biblical Literature)といった国際協会にも加入しています。ほとんどこういう人たちは学者の立場から聖書を読むんですけど、それでも聖書を学ぶ門弟であることには変わりはないですね。そういう人たちも平会員と一緒に、末日聖徒やその他のいわば「本の中の本」である聖書を大切に思っている人たちの為に、この聖書に関しての言語学的、文化的、歴史的或いは文学的観点から注釈書とか研究書を出版しています。

だけど、勉強する上で教会が主に焦点は、イエス・キリストを通しての聖約と贖いを核とするテーマに中心を置いていることす。彼らの個人的、あるいは教会での聖典学習では、教会員は、聖書をどのように生活の中に応用するかって言うことで、例えば結婚生活とか、親としての責任とか、全能の神と自分の関係を築いて維持することとかですね。人生で何かに苦しんでる時とか、人生穏やかじゃない時とか、死に直面した時、末日聖徒は聖書のみ言葉から安らぎを見出します。それから最後に、モルモンは聖書をただ信じてるだけじゃなくて、その教えを通して生活しようとがんばって、聖書を読んでもっと神様と神様の目的について知ろうと努力しているんです。

[注1]旧約聖書は元は、ヘブル語で書かれていたんです。(ダニエル書はヘブル語に関連の深く、ヘブル語と同じアルファベットを使ってるアラム語でバビロンとかパレスチナに住んでいるユダヤ人が採用した言語で書かれていました。)そしてユダヤ人が地中海東部の盆地へ拡散して来た時期、それに伴ってギリシャ語で旧約聖書を作る必要も増加してきました。そこで「70人訳」として有名なギリシャ語訳の旧約聖書が紀元前3世紀から1世紀あたりに出来上がったわけです。一方、新約聖書はギリシャ語で書かれていましたから、「70人訳」のギリシャ語旧約聖書を新約聖書が引用するのは自然の成り行きだったんです。ラテン語が学問のついた人の間の主要言語になったのは紀元4世紀の半ばで、聖ジェロム(St.Jerome)が西方教会で使うためにラテン語に翻訳しました。

  • Share/Bookmark

「高価な真珠」という本はどんな本ですか?

3 月 24th, 2008

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え

末日聖徒は他のクリスチャンのように旧約・新約聖書を神のみ言葉である聖典だと信じています。聖書に加えて、イエス・キリスト教会は、「モルモン書」、「教義と聖約」、そして「高価な真珠」も教会の標準聖典、つまり正典として受け入れ、これらも神のみ言葉だと信じています。

「高価な真珠」という題名は、聖書に書かれているイエスさまのたとえ話(マタイ13:44-46参照)から取られているんですよ。ジョセフ・スミス(1805年-1844年)の死後に編纂されて、現在の版には幾つかの霊感に満ちたいろんな文書が入っています。「モーセ書」と「ジョセフ・スミス-マタイ」として知られているジョセフ・スミス翻訳の「創世記」と「マタイ」、「アブラハム書」として知られているジョセフ・スミスが古代エジプトのパピルス紙から翻訳した文書、さらにジョセフ・スミスが1838年に執筆した教会歴史、同じくジョセフ・スミスが1842年に執筆した末日聖徒の中心的信条を13条に成文化した「信仰箇条」などです。

「高価な真珠」は、苦難の存在、邪悪と死、人間の煩悩、そしてイエス・キリストによる救いといった人間が存在する限り誰もが持つ疑問について説いています。この他、この神聖な書物では、アダム、エバ、エノク、モーセアブラハムの生涯と教えも書かれているんです。それから「高価な真珠」には、ジョセフ・スミス個人の経験を簡潔に書いた「最初の示現」(1830年)、「天使モロナイの訪れ」(1823年)、「モルモン書の出現」(1827-1829年)、アロン神権の回復(1829年)といった歴史も載っています。最後に、父なる神とその御子イエス・キリストと聖霊の証とイエス・キリストの贖いの死の中心的役割といったモルモンの信条の中核を著した「信仰箇条」が掲載されています。こういった人類の初めから19世紀に及ぶ歴史の中での聖なる出来事を網羅しているんです。ですからまさしく「高価な真珠」という題名にふさわしい内容なんですよ。

  • Share/Bookmark

教会には有給聖職者がいますか?

3 月 19th, 2008

リチャード・ホルザップフェルさんからのお答え

一般的に言って、有給聖職者を使って運営している教会組織は、末日聖徒イエス・キリスト教会とは幾つかの点で違っているんですよ。有給聖職者を使ってる教会はね、聖職者になる人は、訓練(学位)を受けることを決めてから牧師の仕事に申請するです。給料はそこの教会の大きさによって違うんです。(大きい教会だと給料も弾んでもらえるし、小さい田舎にある教会だと当然質素な額面ですね。)

末日聖徒イエス・キリスト教会では、例外幾つかを除いて平神権者が運営します。教会の役員は、特別の経験とか訓練を受けないで教会員がある一定の期間、指導者の責任につくんです。こういう会員は、自分の仕事をしてない時に教会に奉仕で働きます。奉仕してる人たちは、その奉仕のポジション(教会では「召し」といってますが)を引き受けて、これをイエス・キリストへの献身の一つとして働くんですが、いつかはその責任から解任されて、他の人がそれを継続するということを承知した上で奉仕しています。つまりある日、教会のビショップ(地域ユニットの管理指導者のこと)に召されたかと思えば、後日解任されて、子供を教える責任に召されるっていうこともあります。 Read the rest of this entry »

  • Share/Bookmark

モルモンはキリスト教徒ですか?

3 月 19th, 2008

もちろんです!モルモンは、わかりきったことですが、その中心となる教義、実践、そしてイエス・キリストへの献身と約束から見て、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、本当の意味でキリスト教だといえます。

私たちの宗教の基本原則は、イエス・キリストの死、埋葬、そして三日目の復活、昇天についての使徒と預言者の証であり、その他すべてのことは私たちの宗教に関することはそれに付随しているものです。

他のクリスチャンと同じように、モルモンはイエス・キリストを神の御子として信じています。モルモンの日常生活は、キリストを中心としています。使徒パウロが述べたように、

「御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。」(ローマ8:16)

しかし、キリストは肉における独り子であり、モルモンはキリストを神の御子、そして人類の救い主として礼拝しています。モルモンはキリストの無償の贖いの犠牲と文字通りの復活を信じており、「救いは永遠にイエス・キリストにある」ことを信じています。

カレン・マークリーさんからのお答え

makeup-and-mom-024.jpg

モルモン教会の中心はキリストであることがこれほど人々に受け入れられず、知られていないのは、本当に驚くべきことだと言わざるを得ません。でもそんなに驚くべきことではないかもしれません。だってキリストご自身も理解されていなかったんですからね。キリスト教を車輪に譬えると、モルモニズムはその中心部です。私たちはキリストの真の知識とその完全な福音の中心にあるのです。

私はイタリア系アメリカ人で、モルモン教会の会員、2人のかわいい娘の母親、そして末日聖徒イエス・キリスト教会の改宗者です。私はイエス・キリストを愛し、私の救い主だと認識しています。それでは私はクリスチャンでしょうか?もちろんですとも。欠陥だらけですが、答えは確かに、「イエス」です。

インターネットで「クリスチャン(キリスト教徒)」の定義を調べてみました: Read the rest of this entry »

  • Share/Bookmark

人生で苦痛、病気、苦難に遭遇した時、モルモンはどのようにして神と和解するのですか?

3 月 17th, 2008

モルモンは、神は全知全能のお方で、私たちの生活に介入するあらゆる力を持っておられると信じています。神は私たちに、価値のつけられないほど素晴らしい贈り物である「選択の自由」を与えてくださっと同時に、人が自分の選択と行動に責任を取ることも期待しておられます。ですから多くの状況の下で、神は私たちの生活に介入することができ、また介在しておられますが、時々自分自身、または自分以外の他人の選択の結果、あるいは自然に発生した事態私たちにもたらされることになった苦難を受け入れて、私たちがそれに耐えるようにも願っておられます。

神は私たちが味わう苦難を共に味わっておられ、すべての経験が私たちにとって究極的には良い経験として働くよう約束していらっしゃいます。救い主ご自身は私たちの痛みや苦しみの一つ一つをご自分でも堪え忍ばれ、そうした弱点や柔弱な状況に置かれた私たちを救いだす術をご存知です。

神が私たちの成長ために作られた完全な計画には、病気と健康、正しいことと誤り、光と闇といった反対のものから学び取る、ということも含まれています。人生の浮き沈みに取り組み、イエス・キリストの贖罪に頼ることによって、私たちはもっと霊的に成長し、私たちの神聖な神の子供としての可能性を達成することができます。

  • Share/Bookmark

« 前ページへ次ページへ »