手術に使う道具

福音をわかち合う素晴らしい業に積極的に参加したいですね。ところが、教会に長年いて、時々福音を伝えることの大切なことを思い出させられる時、義務感と伝道をやってない罪悪感が意識の前面に来てしまうことはありませんか。わたしはそうでした。身近なところを見回して、どこにも伝道の機会がなさそうで、毎日の生活はもう既に目一杯やることがあって、それ以上何かをやることは大変だと感じてしまいます。すごくお腹がすいているときに、美味しい御馳走が待っている瞬間のように、あるいは自分が熱狂的なファンである運動の選手が決勝の試合に臨んでいる時に、ドキドキしながらそれを待っているように、伝道の機会をとらえることができないものでしょうか。これからお話しすることは、わたしの一見つらそうな病気と大手術が目を開いてくれた経験です。

神様は不思議な方法でいろいろな機会を備えてくださいます。わたしたちにすべきことは、ただ、立ち止まって心を開いて、ありのままの自分でその瞬間をつかむことだけなのかもしれません。

64歳の、それまで一度も入院したこともない、ピンピンしている人間が、いきなりがんを宣告され、一挙に目の前が不確かなものでいっぱいになりました。それは,日本へ一時帰国している間に起こりました。それから数週間後、8時間にも及ぶ大きな手術を行うための最新の装置がひしめき合う部屋に看護師さんに押される車椅子で向かっていました。幸い、無意識の中ですべてが行われ、麻酔が覚めたのが緊急医療室の中。そこで1日を過ごし、一般病棟に戻った時には、身体の中と外をつなぐパイプが10以上も身体を縛り付けていて、寝返りを打つことも出来ない状態でした。そこから、奇跡の経験は始まります。

神様が教えてくださった4つのこと

そのような不思議な経験を通して、神様は次の4つのポイントに目を開いてくださいました。その結果、普通なら喜び勇んで退院するはずの4ヶ月近くも経った入院生活も終わるある日のこと、心には深い感動が起こって、そこ(病院)が聖なる経験の場所となり、親しく接することになった何十もの人たちとの暖かい触れ合いを思い出して、「名残惜しい!!!」と心が叫んでいました。

1.どこにでも福音をわかち合う機会はある。神様はわたしたちのところに人々を送ってくださる。人々をキリストのもとに導くことは身の回りに限りなくある。

2.決まったパターンで伝道する必要はない。教会に誘ったり、宣教に紹介したりすることにとらわれなくていい。とにかく、友だちのような関係を築くこと。その人に寄り添いながら時間を過ごせば、自分から自然に何かの影響力が流れ出す。相手の気持ちに注意しながらも、その人の世界に出来るだけ入っていく。そうすることで、その人はわたしたちが教会員として道を歩み、御霊を感じたりしながら、福音の祝福の中にいることを体感してくれる。言葉を越えて、多くの影響力が伝わっていく。

3.周りの人々を、福音をわかち合う活動に引き込んでいく。Orchestration(オーケストレイション)ということを実践する。つまり、自分がオーケストラの指揮者になって、福音に目覚める機会を御霊の助けを借りながら演出する。すごい機会やアイデアがどんどん生まれる。わたしたち人類家族はいろいろな方法でつながっている。その人たちの力を借りよう。

4.伝道は楽しい経験。深い感銘を受ける経験にもなる。救い主と共に業を行うこと。ワクワクするような要素がたくさん潜んでいる。御霊が豊かに注がれる。今まで気づかなかったことにも沢山目が開かれる機会で、わたしたち自身が神様のみもとに帰る準備ができるようになる最高の時間になる 。

では、具体的な例を振りかえりながら、この4つのポイントを解説してみます。手術の直前、わたしの藁をもつかもうとする不安を察して、医師が同じようなことを既に経験した患者さんが身近にいるのでアドバイスをもらいなさいと勧めてくれました。わたしが最初にアプローチした同室のKさんこそ、わたしに最も力になれる存在でした。後になって分かることですが、これが神様の業なのだと思います。彼は、傍目(はため)にも驚くほどの努力を払って、わたしのコーチ役として、あらゆる助けを惜しむことがありませんでした。やがて、わたしの中には、この人にこそ、福音を伝えたいという強い情熱が生まれていきます。それは長いプロセスです。わたしたちは、二人とも長い暗いトンネル、リハビリという未経験の道を互いに手探りしていました。 

医師も人間ですから、時には患者の状況を正確に把握できずに、ちょっとずれたアドバイスを与える時もあります。Kさんの情熱は、そんな時に、わたしの寝台のところに駆け寄って、口を挟むこともさせていました。それを見た医師は、Kさんを押しのけて、わたしたちがプロなので、黙っていなさいと、たしなめる場面があったのです。彼がふさぎ込んでいることもあり、そんな時には、1日に何度も彼のベッドを囲っているカーテンを押し開けて声をかけました。わたしがつらくしているとき、何度も枕元に立っている彼に気づきました。やがて、互いの人生について多くを語り合う機会があり、わたしが教会員であり、彼の故郷である仙台で伝道したことも伝えました。

Kさんは、宗教について積極的に知りたいという感じではないので、無理にそういう話はしません。幅広く、彼の関心のあること、わたしの興味を持っていてかれにも聞いてもらっても悪くなさそうなことについて語り合いました。彼を通して、同じ病棟のある男性が、わたしがクリスチャンであることを知って、キリストの役割について尋ねてくれ、それについて話す機会も訪れ、この3人は、その後も自分たちを「戦友」と呼んで、時々、病食が回ってくると、ラウンジに運んで、そこで会食することもありました。病棟の中では、職員の誰もが、わたしたちが仲良しであることを知っていたと思います。あれから、もう数ヶ月になりますが、日本とアメリカで離れていても、電話やメールでのやり取りは続いています。

そんなある日、Kさんが正月で一時退院を許され帰宅して、いっしょに喜んでいたのですが、がんが転移していたことが見つかり、一挙に暗転。相当落ち込んでいることをメールで知りました。アメリカからでは何も出来ないと諦めかけていましたが、真剣に祈りました。ここからが、オーケストラ的な演出が起こったところです。それまでにも、家内にも話していましたから、いろいろ気を遣ってくれ、彼のためにプレゼントを買ってもらったり、家内が支払いで病院に訪れてくれた時は、わざわざ彼の病室までお見舞いに行ったりしてくれました。Kさんの奥さんにも、わたしもあいさつすることが何度かあり、互いに回復したら夫婦そろって4人で温泉旅行に行こうという話もしていました。   

ある安息日、ひざまずいて何度もKさんのために祈り、導きを求めていた時です。いろいろなアイデアが浮かんできました。神殿に名前を送ることにしました。そして、日の栄の部屋で特に彼のために祈りました。専任宣教師の3人と伝道主任とワード部宣教師の兄弟にも、彼の名前を伝え、一緒に断食安息日に祈ってくれるように依頼し、彼らは全員喜んで引き受けてくれました。彼が、自分のために、異国の地で数名の人が断食して祈っていることを知ったら特別な気持ちを感ずることを、御霊を通して確信することが出来たので、実行に移したのです。

しかし、祈るだけでなく、何か具体的な努力が出来ないかと考えていた時ですが、ふと、手作りのヒートパッドを作るプロジェクトを思いつきました。もともと不器用な自分で、自分自身がリハビリを行っている段階で、日々の基本的な生活をするのがやっとであるのに、そんなことが果たして出来るのか分かりませんでしたが、祈り、導きを受けながら、少しずつ実行に移しました。このような身の自分が、手作りの物を心と祈りを込めて作って送ることで、気持ちが伝わるだろうと考えられたからです。材料の選択と購入、作る手順を学び、応用することなどが比較的短い間に起こり、日本に送ることが出来ました。それから2−3週間して、彼の手元に届き、お礼のメッセージが帰って来ました。お世辞ということもありますから、言葉で表現されたことから、その人が心の奥底でどのように感じていることは推し量ることは出来ません。特に、昔官僚で、プライドもある人なので、自分のデリケートな感情を丁寧に説明することが上手であるわけもないのです。しかし、わたしの心の奥深く、強い御霊の感動が起こったことは確かです。それは、神様がこの一人の男性のことをどれほど心にかけておられるかが、ひしひしと心に伝わってきたことです。それで、感動の涙を流すことになりますが、これこそ福音を伝えることの醍醐味であると感じました。つまり、わがままで自分勝手な自分の心に、神様のような愛が一時的であれ宿るという体験です。こういうことが度重なると、だんだん御元に戻るための備えが出来るのかもしれません。

ヒートパックの中に入れる豆をオーブンで温める

ヒートパックの中に入れる豆

茶色の布で縫われた手作りヒートパック

家内自身もがんを抱えているので、わたしが回復する時期を故郷の姉のところでしばらく過ごすことになったのですが、そこで、教会に行くことがチャレンジとなりました。姉も目に障害があって、安息日に車での送り迎えをやってもらうことは困難でした。すると、近所のYさんが、わたしとも縁故があり、お見舞いにきていただいたことから始まり、教会に送ってくれることになりました。しかも、彼は喜んで、集会にも出て、英会話に誘ってみたところ、喜んで参加し、さらに宣教師さんたちとも会うことになり、彼の誕生日のために宣教師さんたちがケーキを準備してくださったこともあり、教会に接近してくれました。Yさんは、随分前から、わたしのペンシルベニアの家を拠点にして何度かアメリカの中を旅行することを通して彼の人生観が変わるような経験をしていたので、わたしといっしょに過ごすことを楽しみにしてくれていました。一緒に散歩したりして、故郷についての出来事をたくさん教えていただいたり、冬物をあまり持っていないわたしのために着るものをプレゼントし、美味しい物を食べに何度も連れて行ってくれました。わたしの方でも、彼の夢を実現するように出来る限りのことをしています。もうすぐ彼は渡米してきて、わたしのところに3ヶ月滞在するようになります。心を開いて、その人の見方や感じ方を受け入れ、その人の視点から見るように努めて、実現したいと思っていることを優しく支えることによって、その人の心はどんどん開かれていきます。福音を伝えることを、形通りに行っているのではないですが、わたしたちの生活には福音は深く浸透しています。だから、出来るだけ、飾らずに、自然体で、弱さもさらけ出しながら、接するならば、何かしら絆が生まれ、福音のメッセージも伝わっていくように思います。大半は言葉によらず、気持ちや行動を通してだと思われます。一番確かなことは、その人に対する神様の愛が自分の心の中に育つことです。やっていることを神様に具体的に報告する時に、ヒントがそこここに与えられます。そのような気持ち自体が祝福です。ワクワク感もそこから出てきます。自分が、神の御もとに戻る準備が1つ出来たと感じられるからです。

この記事は有泉芳彦によって書かれたものです。

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