天父にならい子供を育てる両親


 わたしたちは、愛し愛されたいと願っています。ぬくもりや思いやりを感じたい。近くに感じたい。共有したい。そんなふうに切望しています。近代に描かれる理想の愛とは、黄金の輝きと暖かい気持ちに溢れています。

 しかし天父は表面的な感情だけでは良しとされません。天父はそれよりも遥かに堅固なものをお望みです。だからこそ天父は家族をお与えになり、わたしたちが試練に合い、淡い感情が真実の愛に変わるのを可能にして下さいました。この愛は、家庭生活が円満な状態で報われているときでも、また上手くいかず困難に遭遇しているときにも生き続けるものです。

 家庭生活においてわたしたちは物を共有せざるを得ません。共有するものはアップルパイにはじまり、洗面所や洋服の予算までにも及びます。長年に渡り生活を共にするために、家族はお互いの欠点や癖に対して時として、過敏なまでに反応してしまいます。「なぜいつも宿題を忘れるの?」「なぜ履いた靴下を片付けられないの?」。たいがい家族は最前列席に座っていて、お互いの欠点やとてつもなく恥ずかしい場面を目撃するわけです。家族生活ほど愛が試される場所はないでしょう。

 

感情は言葉以上のもの

 わたしたちは家庭において、愛は感情以上のものであることを学びます。親の愛とは、子供のことを思い常に献身的に行動することです。たとえそれが不都合な場合であってもです。わたしたちは愛は「愛しているよ」と言う以上のものだと知っています。もし言葉に行動が伴わないならば、説得力に欠けてしまいます。家庭における親の務めは、子供のために天父の愛を体現する使者になることです。

 どうしたら感情や言葉を超越し、子どもたちのために愛を確かな現実のものにすることができるのでしょうか?ここに養い育てることが関わってきます。養い育てることを定義してみましょう。それは行動を通して子供を支え、尊重することです。さらには大切にすることです。

 わたしたちは養い育てることについて、天父から何を学ぶことができるでしょうか?天父がご自分の子供たちと接する様子を研究するならば、御父のように養い育てるために大切な4つの行動を見出すことができます。

 

レッスン1 時間を作る

 まず初めに、わたしたちは天父から子供のために時間を作ることを学ぶことができます。永遠の観点からは簡単に思えるかもしれません。それなのに時間に縛られた人間には難しいことなのです。まさにわたしたちの決意のほどをじっくりと試されているのです。

子育ては驚くほど不都合なものです。予定があるときや、手が離せないようなときに限って、こどもたちはわたしたちの注意を必要とします。しかし、時間を犠牲にして小さい者たちを助けるときに、わたしたちは永遠に続く喜びの道へと導かれるのです。「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ25:40)。

 ある晩のことです。教会の集会に急いで出かけようとしていた時に、息子のアンディーにつかまりました。アンディーは一日中足が痛いのだと訴えました。どこか深刻な問題が隠れているのではないかと心配していました。不安いっぱいの顔をしていました。何とかしてもらいたいと思っている息子のために、いい父親になりたいと思いました。わたしは途方にくれてしまいました。集会に行かなければならなかったのです。

 痛みは何でもないと説得しようか思いました。「すぐよくなるさ。成長痛だよ、きっと。大丈夫だよ。」他にも、心配事は何にもないことを伝えようかとも思いました。「アンディー、そんなに文句を言うのは良くないよ。胸の痛みがあったときに医者に連れて行ったとき、結局何でもなかっただろう?」それでもわたしはそのような手法が効くとは思えませんでした。必死になった私はこう答えました。「アンディー、お父さんは集会に行かなければならないんだ。すぐに終わるさ。集会後に迎えに来るから、外でデザートを食べながら話そうか?」アンディーは快く同意してくれました。

 集会後に、わたしは急いで家にアンディーを迎えに行きました。そして一緒にレストランに行きました。二人でデザートを食べて、紙でできたプレースマットを使ったゲームで遊びました。おしゃべりしました。するとアンディーの足はもう痛くなくなったのです。わたしは足の痛みは作り話だと言ってるのではありません。ただ愛を感じるときに、人生に訪れる苦痛が極限状態に達することはないのかも知れません。わたしたちが子供のために時間を作るならば、彼らは愛されていると感じることでしょう。

 

レッスン2 聴くことの素晴らしさ 

 2番目に、天父の愛の模範は、耳を傾けることです。天父はわたしたちが話しているときに、返答を考えることはなさりません。ただお聴きになります。そしてすべて打ち明けるまで、忍耐強くお待ちになります。天父は聴くことに集中されます。聞くことは偉大な愛の賜物です。理解力が増すときに、その賜物はまるで天国のようなものになります。

 ある男の子が、不機嫌なようすで怒りながら学校から帰宅した時のことを思い浮かべてみました。母親は何か嫌なことがあったのかと聞きます。すると少年は「何でもないよ。」と答えます。(親であるわたしたちも反論したい衝動に駆られるかもしれません。『最低な一日だと思ってるかもしれないけど、わたしの話も聞いてちょうだい!』 これでは聴くことになっていません。思いやりをもった対応とは言えないでしょう。)この後しばらくしてこの母親はもう一度試してみました。「すこし気分を害したように見えるけども。」少年はしかめ面をして見せましたが、せきを切ったように話し始めました。「今日バスの運転手に怒鳴られたよ。僕がやっていないことを僕のせいにしたんだよ。けなされたんだよ。」

 その少年が自分の息子だとしたら、あなたはどのように対応したでしょうか?両親はたいがい2通りの反応をします。ある人はバスの運転手のせいにするでしょう。「誰にもわたしの息子にそのようなことはさせない。」また他の人は息子を責めるでしょう。「なんでいつも問題を起こすの?あなたのせいでどうかなりそうよ」。双方とも、即座に子供の発言に敏感に反応しています。双方とも状況を把握したあとに、誰かのせいにしようとします。両者とも子供の助けにはなっていません。なぜなら子供は耳を傾け、理解してもらえたと感じていないからです。

 さきほど息子は、恥をかかされて怒れた、辛かったとこぼしたのです。彼には思いやりに満ちた慰めが必要なのです。「それは大変だったね。友達の前でけなされて傷ついたでしょう。恥ずかしくて、怒れたでしょう。」進んで、「悲しむ者とともに悲しみ、慰めの要る者を慰めることを望(む)」(モーサヤ18:9)ことにより、わたしたちは「いつでも、どのようなことについても、そのような所にいても……神の証人になる」のです。天父は慰めて下さいます。天父はわたしたちに苦しんでいる子供たちを慰めるように招いていらっしゃいます。

 ある親は、このような考え方は、息子の行動を助長させるのではと心配するでしょう。「バスの中で本当は問題行動を起こしていたのではないか。自分の行動に責任を持たなければいけない。」
責任を取ることは真の原則ですが、思いやりも同様です。この2つを取り持つ方法があります。

 まず、聴き、理解し、悲しむ者とともに悲しみます。そうすることで、相手にはっきりと気持ちが伝わります。「あなたが何を感じているか知りたいわ。理解したいの。あなたはわたしにとって大切な存在なの。」気持ちが伝わり、少年の気持ちが落ち着いたあとに、少年のことを気にかけている親はこのように言うかもしれません。「嫌な経験だったろうね。どうしたらまた同じことが起きないようにできるかな?」もしかしたら、その少年はバスに乗るときに、他の友達と座った方がいいのかもしれません。もしかしたら、運転手を困らせる行動を避ける必要があるかもしれません。バスの運転手に、バスに乗るマナーを教えてもらったら良いかも知れません。この少年はきっと同じことが起きないように賢くて理にかなった方法を考え出すことができるでしょう。そして賢い親は、聴くことにより、そして理解することにより癒しを与えることができるのです。

 

レッスン3 相手に合ったメッセージを伝える

 天父がわたしたちに愛を示される3番目の方法は、それぞれの環境に合わせてメッセージを伝えることです。天父はわたしたちの母国語で話しかけて下さいます。

 スコットは真面目な末日聖徒です。彼は人生のなかに平安と導きを求めています。天父は彼に平安と導きをお与えになりました。ナンシーは奉仕の機会を求めていました。天父は彼女を必要とする愛する友達を与えてくださいました。ウォーリーは喜びを探しています。そしていつも喜びを見出しています。「彼らの生まれ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを…聞い(た)」(使徒行伝2:6)。ニーファイは神が「人々が理解できるように彼らの言葉に倣って語られる」(第2ニーファイ31:3)様子を目の当たりにしました。

 世の中の人々が愛を示し合う方法は大まかに3通りあります。言葉、行い、触れ合うことです。言葉で「愛しているよ」と言ってもらうことは、ある人にとって非常に大切です。ある人は何かをしてもらうときに愛を感じます。例えば、何かをしてもらうことや、関係を築くことです。触れ合うこと、抱きしめたり、手をつないだり、傍にいることを好む人もいます。多くの人は(子供も)この3つの要素を織り交ぜるのが好きです。

 どうしたら自分の子供により効果的に愛を伝えることができるのでしょうか?子供にどんなときに愛を感じるのか尋ねると良いかもしれません。何が効果的なのかを観察することもできます。ほとんどの場合、伝わる方法は違います。

 相手に合わせた愛情表現をするだけでなく、子供に多くの時間を費やさなければなりません。両方行うのです。賢く時間を使い、それぞれの子供の趣向に合わせるのです。アンディーはマウンテンバイクで一緒に出掛けるのが好きです。エミリーは自分の作った手芸を見てもらうのが好きです。サラは穏やかな散歩の時間を一緒に楽しむのが好きです。親が子供と時間を過ごすときに、それぞれの子供に合わせた方法で時間を取ることが大切です。よりよく養い育てるためには、わたしたちは天父のように子供によって伝える方法を変える必要があります。

 

レッスン4 成長と学びの機会を与える

 4番目に、天父はわたしたちを愛しておられるので、わたしたちの間違いよりも可能性に目を向けられます。モーセは話すときに神が助けてくれることを信じられませんでした。それでも天父はモーセを叱ったり、モーセのことを諦めたりしませんでした。神はアロンを遣わされました。ペテロが情けないほど優柔不断なときも、神はペテロが古代の教会を導けるように指導しました。

 親として成功したいならば、わたしたちは子供に成長し、学ぶ機会を与えなければなりません。子供は、自分たちの未熟な努力の向こうにある可能性や真剣に努力している様子を見てくれる親を必要としているのです。

 ある親は、過度なサポートや、励まし、愛情は、子供をダメにすると心配するでしょう。しかし、愛情は溺愛とは違います。それに大きな愛を受けたせいで、ダメになった人などいないでしょう。わたしたちは子供を教え、導き、責任を持たせます。そうしながら、子供に愛情や価値を教えることができるのです。

 時として愛情深くあることが難しいときがあります。ナンシーとわたしは10代の里子から愛について力強い教訓を教わりました。彼女はよくわたしたちに反抗したり、嘘をついたりしました。わたしたちはたびたび彼女に対して苛立つことがありました。そのために彼女に親切に接するのが難しい時がありました。しかしたとえイライラしているときでも、自分たちにこのように問いかければよいと気づきました。「もし彼女を愛しているとしたら、何をするだろうか?」わたしたちはたとえ愛せないと思うときでも、気にかけて優しく接することを学びました。この経験により、わたしたちは彼女と接する時に、たとえ彼女が問題行動をとっても、親切に賢く対応することができました。

 もしまた子供が間違いを犯したり、問題行動をとったときは、このように考えることができます。「いまこの瞬間にこの子を心から愛せたら、どんな行動を取るかしら?」その瞬間を越えたもの、子供の真剣な思いを顧みることができるなら、子供は安心してあなたの愛情や導きを受けて、あなたから正しい教えを学ぶことができるでしょう。

 

遥かに偉大な愛

 時間をとる。聴く。相手に合わせた方法で伝える。間違いの向こうにある可能性を見る。これらすべての方法で子供を養い育てることができます。しかしそれらを越えるより大きな愛があるのです。それは慈愛です。キリストの純粋な愛です。それは神の賜物です。

 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)。これは主の戒めです。わたしたちは文字通り、主が愛されたように愛し合うべきです。しかしつかの間のこの世では、天の助けなしに慈愛を持つことは不可能です。それは神からの賜物なのですから。キリストにより完全になるときに、キリストのように愛することができるのです。

 家庭は最高の試験場です。家庭において愛と養育の土台を学びます。しかし弱いわたしたちが自分の力量を越えて優しく忍耐を持ち歩むためには、天の助けが不可欠なのです。家族生活はほかの何よりも、わたしたちが常に主に頼り、神の模範や、教え、不変の力を必要としていることを学ばせてくれます。

 

よく考えて、応用する

 あなたのこども一人一人のことを考えてみてください。それぞれどのような愛情表現を好んでいますか?それぞれに親のあなたとどのように時間を過ごしたいと思っていますか?

 どのようにしたら、子供たちにより合わせた愛情表現をすることができますか?計画を立て、試してみて下さい。こどもの変化やあなたの学びに合わせて、修正を加えてください。

 

 

この記事はWallace Goddardによって書かれ、Meridian Magazineに掲載されました。

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美佳子さんはモアグッド財団の翻訳者であり筆記者です。ユタ州立大学で音楽療法を専攻した後に、音楽療法士になりました。読書、楽器を弾くこと、文章を書くことが好きです。
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