父親を見て、天父を思う

父の日おめでとうございます!父の日が好きな理由の一つは天の父について考える機会を与えてくれることです。この10の方法は、わたしのこの地上での父が天の父を思い出す助けとなっています。

 

父は家の指導者です

神権の祝福をしてくれる父

わたしの父は家庭の指導者で、家族を正義の方向に導いてくれます。L・トム・ペリー長老は、「父親であることは指導者であることで、もっとも大事な種類の指導です。それはいつもそうでしたし、これからも変わらないでしょう」と述べています。

わたしが成長期の頃、新しい学年が始まる直前に父がわたしたち子供たち一人一人に父親の祝福をしてくれました。よろこんで御霊によって導いてくれたことにとても感謝しています。

わたしたちの個人の旅路で、父なる神様はいつもわたしたちを案内してくださいます。わたしたちが神に気持ちを向けさえすれば、毎日なすべき選びや決断を通して導いて下さいます。神は何がわたしたちに最終的な幸せをもたらすかを御存知で、わたしたちが共に永遠に住めるように導いて下さいます。

 

父は供給する

 

モンソン大管長は、「父親は、母親と同じで、子供たちのためにいつでもよろこんで自分が快適にいることを犠牲にする」と語っています。

わたしは高校を卒業するまで、父が新しい衣類や靴を父自身のために買うのを見たことがありませんでした。彼は全然利己的ではなく、いつも犠牲を払っていました。わたしには父が数えられないほどわたしのために仕えてくれたという記憶があります。学校から予定外のお迎えに来てくれたことから、宿題を遅くまで手伝ってくれたこと、好きな食事を作ってくれたことなど、父はとても尽くす人です。

天の父は絶えずわたしたちを祝福しようと望んでおられます。神はその愛を一刻一刻ではないとしても、日々示そうと願っておられます。天父の愛は途絶えることがありません。気づくとそこにあります。気づかなくてもやはりそこにあります。ご自分のすべての遺産をわたしたちに与えようとお望みです。憐れみ深く、ご自分の愛が本当であることを示すことを何でもなさいます。

 

知識に満ちている

 

子供の頃から、父はいつもなんに対しても頼れる人でした。あらゆる知識があって、すべてのことの知識を少なくとも少しは知っているように見えました。数えられないほど何度も彼の知識が助けになりました。わたしが知るべきときに必要を教える父の能力によって永遠に祝福されています。

マリオン・D・ハンクス長老が教えているように、「父が助言してくれたことから得た理解はわたしの魂の深くに入って行く。」そのことがわたしに起こったと証言できます。

天の父の知識は完全で、すべての答えをお持ちです!自分がどちらに進んでいったらよいのか考えるときに、天の父はすべての答えをお持ちです。物事の最初から最後まで見通すことが完全におできになり、わたしたちの探しているあらゆる知識があり、わたしたちが伸ばしたいあらゆる能力をマスターしておられます。

 

犠牲と一生懸命努力することを学ぶ

父と一緒に作った田んぼ

わたしはとてもはっきり覚えている思い出があります。暑い夏の芝刈りや雑草抜きのことで、わたしは言いつけられた仕事が全然終わらないように見え、パーティーや旅行に行けないと思い、すごく怒って、父が公平でないと思ったことです。

今振りかえってみると、父が教えてくれたのは犠牲についての大切な原則です。自分のやり方を通さないという習慣はわたしの生活全体に貫くようになりました。M・ラッセル・バラード長老が言ったように、「犠牲は純粋の愛を表現したもの。」わたしは父のために犠牲を払ったことによって彼に対するわたしの愛をよりよく理解しました。また、父もわたしのために犠牲を払ってくれました。それはわたしへの愛から来ていました。

天の父はわたしたちに対する愛を、犠牲を払うことによって示されました。それで、神はわたしたちにもっと良い約束をその見返りとして提供することができました。わたしたちが喜んで宝を手放すことを喜ばれます。それと同時にわたしたちの苦しみを理解し、わたしたちの涙を御存知です。わたしたちにご自分のようになってほしいと望んでおられ、わたしたちも御自身がわたしたちのために払うように、犠牲を払わなければならないとされました。

 

ユーモアのセンスがある

ユーモアのある父親

わたしの父はちょっとしただじゃれやユーモアのあるコメントをするのが好きです。とりわけ、わたしがつらいと思って泣いたり悲しんだりしているときにそうしてくれます。彼は今でもわたしを笑わせるのが好きで、わたしをほほえましてくれます。

ボイド・K・パッカー長老はわたしたちに、「普通のことの中に幸せを見出し、ユーモアのセンスを保ちましょう」とチャレンジしています。ほんのわずかな時間で、父はわたしが過ごして来たひどい日のことを忘れるように、機智とユーモアのセンスで助けてくれます。

天の父はユーモアのセンスがあるとよく言われます。わたしたちがほほえみ、幸せであるのを見るのが好きで、なんとかして一番暗い瞬間にも明るい面を見られるように助けてくれます。わたしたちのユーモアのセンスを御存知で、わたしたちが自分に合った方法で笑ったりほほえんだりさせてくれます。

 

叱ることによって教える

わたしはかなり行儀の良い子供だったと思いますが、それでも叱られ、自分の部屋で100まで数えるまで閉じ込められたことを覚えています。

わたしはすべての説教と涙を流したときのことを思い出すことができます。ちょっと口答えした事で叱られたのです。それは学校のあった夜に毎晩尋ねられた特定の質問、また、父が私を諭す時で、父の純粋な愛の表れでした。

マーヴィン・J・アシュトン長老自身も言っているように、「時々わたしたちは愛と助けと希望の精神で、叱られ、しつけられ、修正される必要があります。」

天の父はわたしたちが一番必要なときにわたしたちを叱られます。わたしはそれが御父にとって好きなことではないだろうと思いますが、それはわたしの父にとってもあてはまることでしょう。それでも天父は時間をとってわたしたちが学べるように叱ってくださいます。それでわたしたちは成長できますし、将来もっと訓練された人になることができます。なぜそうなさるのでしょうか?想像できると思いますが、神はわたしたちを愛しておられるからです!

 

奉仕と愛の模範

奉仕と愛の模範を示してくれる父

わたしが振りかえるのが好きなのは、父がすべてのことをさておいて教会の集会に出席し、自分の召しを果たすために全力を尽くしていたのを数限りなく見たことです。いつも彼は学校の行事のためにボランティアとして奉仕し、だれかの家に行って祝福したりしました。

彼は本当のキリストのような愛と奉仕がどのようなものであるかの模範です。なにかをあげたり、奉仕したりするのが好きで、彼特有の言葉にならない多くの方法で奉仕のときにどのように主の模範に従ったらよいかをわたしに教えてくれました。

エズラ・タフト・ベンソン大管長が述べているのは、「教えは概念と模範によってなされます。言葉と行ないによってです。よい模範は最高の先生です。ですから、父親としての最初の責任は適切な模範を示すことです。」

天の父は何度も繰り返しわたしたちに仕え、愛を示してくださいます。どのように不便な状況であっても、神は本当の憐れみをもって模範を通して導いて下さいます。たぶん愛と思いやりは天父の愛の言葉です。もっと他の人を赦すことを学び、もっと容易に謙遜にだれにでも仕えれば仕えるほど、天の父はわたしたちがご自分を完全に愛していることを何の疑いも無しに分かってくださるだろうと思います。

 

わたしに決断をさせてくれた

私がした決断がうまく行った時

ヒラマン14:30には次のように書いてあります。「あなたがたは自由であり、あなたがたは随意に行動することを許されている」と。父はわたしにたくさんの選択の機会を与えてくれました。その中には彼がわたしに選んでほしくない選びもありました。

これらの選択のいくつかはわたしに頭痛と苦痛をもたらすことを父ははっきり知っていたと思います。そしてそれを見ていることは父にとって辛いことだったと思います。しかし、父はわたしが自分の可能性を精一杯伸ばすには、自分で選択することによって学び成長する必要があることを分かっていたと思います。

天の父がわたしたちを愛しているが故に選択の自由を与えてくださったことはとてもすばらしいことではないでしょうか?わたしたちがいずれは過ちを犯すことをご存知であったので、贖い主を地上に送ってくださいました。

天父にとってわたしたち自身を悲しませる原因となる過ちを犯すのを見るときに、それがどれほどつらいことであるのか想像することができません。天の父が、わたしたちが御元を去り、苦しみや試練に直面し、天に戻って来られない危険もあるという状況で見守っていることがどれほど難しいことか想像することができません。しかし、神は愛があるためにそうなさったのです。

 

わたしの忍耐を試す

確かに父に対してイライラすることも何度かありました。わたしは自分が何でも分かっていて、父にはわたしの立場が分からないのだと思いました。あるとき涙がわたしの頬を伝わって流れました。怒りの言葉と叫び声をあげました。「公平じゃない!」わたしにとってとても辛い経験でしたが、父にとってはもっと難しい経験だったと思います。

愛のある父親は子供が感情的な苦しみや悲嘆に陥るのを決して見たくはありませんが、彼は何が最良なことかを知っていて、愛があるために長い間苦しみ、そしてわたしが忍耐の徳を理解できるように助けてくれました。スペンサー・W・キンボール大管長は、「苦痛は人々が忍耐、堅忍、自己制御を学ぶときに聖徒らしくなる助けになる」とおっしゃいました。

わたしたちが口にする「これは公平ではない」という不満によって御心を痛められるでしょう。それでも、神はわたしたちがこれらのとても苦痛に満ちた瞬間を経験し、忍耐を理解し、わたしたちがなりうる最高の女王や王になれるようにしてくださるのです。

 

「愛してます」と聞くのが好き

わたしの父は決して父親としての役割に休みがありません。エズラ・タフト・ベンソン大管長は、「父親としての召しは永遠で、その大切さは時間を超越しています。それはこの世と永遠にわたる召しです」と述べています。

わたしは頻繁に父が常に私に関心を寄せてくれているということを忘れてしまいます。頻繁に父がわたしのために時々刻々犠牲を払っていることを忘れてしまうのです。わたしは単純な一言「愛している」を十分に言えていないのです。

天の父はわたしたちが祝福を願うように望んでいらっしゃいますが、わたしたちがその御手をわたしたちの生活の中でいかにありがたく思っているのか知るのがお好きです。どれほど頻繁にわたしたちの心を感謝と愛の気持ちで注ぎ出しているでしょうか。

わたしたちはこのことを他の人々に仕えることによって行なうことができます。祈るときにひざまずくことにより、謙遜さを表現し、あるいはただ促しや優しい憐れみを書き留めることによって、神の愛と言葉を大切に思っていることを伝えることができます。

わたしたちがこの父の日と将来にわたって、地上の父と天父に対して愛や尊敬を示せますように。

この記事はAshley Fredericksonによって書かれ、lds.netに投稿されました。

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