病室で家族写真を撮るデクラークとエドワーズ

2018年2月13日の移植手術前に病室で
写真:deseretnews.comより

マダリン・エドワーズと父親のロブ・デクラークにはたくさんの共通点があります。二人ともユタ・ジャズ(ユタ州のバスケットボール・チーム)のファンであり、二人とも日本で伝道し、2018年2月13日には腎臓を分け合ったのです。「わたしは父が大好きだから、もちろん文字通り父のために命を捧げたんです」と娘のエドワーズは言います。父親のデクラークは、2月の初めに移植手術を受け、無事に娘から腎臓を提供してもらいました。彼が1978年2月に最初の腎臓を切除してから40年後のことでした。エドワーズと父親はモルモン教とも呼ばれる末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であり、宣教師の奉仕や腎臓移植はただ「そうなる運命だった」と感じています。

2人の姉妹たちと写真に写るデクラーク長老

福音を伝えた2人の会員と共に教会堂の前で写真に写るロブ・デクラーク長老。彼は1977年から1979年に日本札幌伝道部で伝道した。

誠実で忠実であるなら

デクラークはウェスト・ジョーダンに住んでいますが、オランダ移民の家庭に生まれ、第一言語としてオランダ語を話しました。日本札幌伝道部への宣教師の召しを受けたとき、自分の母国語を使う代わりに、日本語を話す場所で奉仕することが分かり、衝撃を受けました。しかし、1977年1月に伝道地へ出発しました。

伝道に出て一年と少し経った頃、デクラークは病気になりました。彼はよく気を失って倒れ、血尿も出るようになりました。間もなく、腎臓に深刻な問題があることが分かったのです。鈴木正三伝道部会長は、彼を治療のためにカリフォルニア州の家に帰宅させました。

デクラークは家に戻る前、当時七十人第一定員会の会員だった菊地良彦長老と鈴木伝道部会長から祝福を受けたことを覚えていました。祝福の中でデクラークは「もし自分の伝道に対して、そして召しに対して誠実で忠実であるならば、わたしは戻って来る」という約束を与えられました。

デクラークは手術により右の腎臓を摘出し、回復のために家で家族と過ごしました。その時、教会の本部は彼を宣教師の責任から解任しました。しかしデクラークは、専任宣教師としての奉仕を終えたくはありませんでした。それから彼は別の召しを受けました。それは、カリフォルニア州アナハイムの伝道地に戻ることができるというものでした。そこは家と病院に近かったのです。
「わたしはいいえ、と言いました。かなり頑固でした」とデクラークは話しています。日本に戻れるように誠実で、忠実であるという約束にしがみついていました。

教会の本部から再び電話がかかってきましたが、この時は思いもよらぬ声が電話の向こうから聞こえました。それは、当時の第12代大管長として奉仕していた、スペンサー・W・キンボール大管長でした。

デクラークは電話でのやり取りを、このように回想しています。
「キンボール大管長が、電話の向こうでこのように尋ねられました。『伝道地に戻りたいですか?』わたしは『はい、戻りたいです。そう言われましたから』と答えました。その時の教会の大管長の答えを今も覚えています。『わたしも同じように感じます』」
そして3週間後、彼は日本に向かう飛行機に乗っていました。

デクラークが1978年3月に伝道地に戻ったとき、彼は「すべてが開かれた」かのように感じていました。彼の日本語は上手になり、御霊を強く感じ、教えることが容易になったと彼は言います。

「自分が必要とされ、伝道地の一員になったと感じました。まるでキンボール大管長は、わたしが召された場所で伝道を終えるべきだと知っていたように感じます。……40年経った今でも、この経験を話すときは涙が出てきます」それから1月に帰還するまでに、デクラークはさらに5人にバプテスマを施しました。

伝道当時に感じていた気持ちを再び感じる機会は、伝道後にやってきました。ロサンゼルス神殿の奉仕者をしていた時、キンボール大管長に会う機会があったのです。

「わたしは聖会に参加していて、そこにはキンボール大管長がおられました。大管長が部屋を出られるとき、わたしたちは皆、起立しました。すると彼は、わたしの顔をじっと見つめ、次のように言われたのです。『デクラーク長老、おかげんはいかがですか?』彼はわたしをご存じでした。とてもすばらしい経験でした」とデクラークは述べています。

デクラークは、伝道の祝福を続けて見ることになります。それは手術が終わった年に、自分がバプテスマを施した家族がカリフォルニアに訪ねて来たことです。当時、ロサンゼルス神殿で奉仕している奉仕者の中で、日本語の通訳ができるのは彼一人だったので、彼は彼らを助けることができたのです。

「わたしは帰る運命だったのです。主は、わたしが帰ることを望んでおられたのです」と彼は言います。

2人の姉妹宣教師と3人のバプテスマ前の求道者

2013年5月から2014年12月まで日本神戸伝道部で伝道したマデリン・デクラーク姉妹(右)。同僚と、バプテスマを受けた3人の求道者と共に。

父親の足跡をたどる

デクラークの娘で、彼に腎臓を提供したマダリン・エドワーズは、16歳の時に祝福師の祝福を受けました。その中で伝道について触れられていましたが、もともと伝道には出たくありませんでした。姉妹が伝道に出られる年齢が21歳から19歳に引き下げられたとき、エドワーズは自分への答えだと感じ、宣教師の申請書を提出しました。

「わたしが伝道地を知らせる手紙を開いたとき、わたしはまず父を見ました。父は大声で泣いていました。わたしは、父の伝道がどれほど驚くべき経験だったかを聞いて育ちました。わたしが小さかった頃は、日本で伝道するなんてありえないと思っていました。そしてわたしは日本で伝道する召しを受けたのです。……わたしが父と同じ国で奉仕するのは、すべて神の計画だと分かりました」

エドワーズは、2013年5月に日本神戸伝道部へと出発しました。彼女の父親は当時、宣教師訓練センターの日本語教育リソースセンター(Teaching Resource Center)で働いていました。ここは宣教師が、外部の人たちの助けを得て、レッスンを教える練習をするための場所です。デクラークは求道者役になって、宣教師のレッスン模擬を手伝っていたのです。リソースセンターでは毎週土曜日、デクラークが彼女に少しの日本語と、伝道地でどんなことを経験できるかを教えました。

親子はいつも近くにいましたが、エドワーズと父親の関係は、彼女の伝道を通じてもっと深くなりました。

「父をより理解するようになり、わたしの人生における父の役割に、もっと感謝するようになりました。なぜなら父は家族の中で、特にわたしにとっては、いつも霊的で偉大な模範だったからです。父はいつも『福音のためなら命を捧げる』と言っていました」とエドワーズは言います。「父が伝道した国で伝道することで、わたしは父の信仰の源を理解したのです」

エドワーズが伝道を終えた2014年12月、デクラークと妻は来日しました。デクラークが、娘の伝道した支部で、デクラークのかつての同僚たちや伝道部会長、そしてデクラークがバプテスマを施した人々を知っている会員に会ったとき、二人の宣教師としての経験は完璧な円となり、一つになったのです。

「それはほんとうに特別で心打たれるものでした」とデクラークは言います。「娘が日本に伝道に出たことと、同じ言語を話すということのつながり。言葉ではうまく説明できないのですが、本当に特別なつながりです」
間もなくエドワーズが父の命を救う一人になったのは、この「特別なつながり」のためでした。

運命

現在60歳のデクラークは、3年ほど前から「腎臓はもう保たない」と言っていました。唯一の腎臓の機能は下がり続け、ここ5か月は透析を続けています。デクラーク家族は、腎臓移植には長く複雑な過程を経なければならないことを知っていました。

ヨガ講師となったエドワーズは、寄付を募ってヨガ教室を開き、父親のために約1,000ドル集めました。彼女は、自分の腎臓が父に適合することを願っていましたが、最初の検査を受けたのがマラソンを走った直後で、尿中のたんぱくが多すぎたため、結果は不適合とされてしまいました。

もう一度検査をする必要があると感じ、二回目の検査は適合という結果が出たのです。エドワーズは、両親から注がれた愛を返すことができるでしょう、という祝福師の祝福に頼っていました。そして自分の腎臓を提供することが、その言葉を実現する機会であると思いました。

しかし複雑な過程が続くことになりました。2018年の1月下旬、エドワーズは手術前の検査のために入院したのですが、医師はたんぱく量が再び上昇していることに気づきます。結局、手術は延期となりました。これ以上たんぱくの数値が悪化するようなら、癌のような深刻な病気ではないか調べるために、生検が必要だと医師たちは言いました。

「わたしは怖くなり、泣いていました」とエドワーズは言います。「わたしはまず神を責めました。『なぜこんなことをなさるんですか?』と。憤っていました。これはわたしらしくないことでした。今までどんなことがあっても、神を責めたことはなかったからです。」

その後、教会でのある経験を通して考え方が変わりました。エドワーズと教会の人たちが彼女の父親のために断食していました。母親が、エドワーズに立って話すように言いました。

「檀上に立って証をしていると、『これはテストだった』と心の中で感じました。次に聞こえた言葉は、次のようなものでした。『わたしはあなたの祈りを聞いています。でも、あなたはわたしの言葉を聞いていますか?』その言葉が聞こえた瞬間、思いました。『聞こえます。この試練と、信仰の試しを与えてくださり感謝します。今、わたしは本当に準備ができています』」
次の日、病院から検査結果が良好だったことを知らせる電話があり、手術は翌週に決定しました。エドワーズとデクラークは、2月13日にユタ州マレイにあるインターマウンテン・メディカルセンターに入院しました。移植は無事成功しました。

エドワーズは、術後にこう話しています。「医師は、わたしの腎臓は父の体のために作られたように、血管も含めてすべてが完全に適合したと教えてくれました。父の体はわたしの腎臓をすぐに受け入れてくれました。女性の腎臓は小さいので、男性に移植してうまくいくか医師たちは心配していましたが、全然大丈夫でした。わたしの腎臓は健康で大きく、完全にフィットしたのです。」

デクラークは、移植したその日に歩くことができました。手術前、彼の腎臓機能はわずか7パーセントでしたが、移植後は51パーセントに上がったと、腎臓移植コーディネーターである、ウェンディー・ステイプリーは言いました。彼女は、回復とともに数値も改善するだろうと言いました。

ステイプリーは、デクラークとエドワーズが移植手術にあたり、お互いを信頼し助け合う姿を見守ってきました。

「デクラークさんは、娘さんを支え、助けるために彼女の部屋に頻繁に行き、彼女が起き上がり、動けるように助けていました」とステイプリーは言います。「そんな彼らを見るのは楽しいことでした。親子関係は素晴らしく、家族の間にも良い関係を築いているのが分かりました。」

エドワーズは、父親が普通に歩き、手術前のように背中やひざの痛みがなくなったことは信じられないことだと言います。彼女の方が回復に時間がかかりましたが、「父が元気でいるのを見ると、それだけの価値があったと思います」とエドワーズは言っています。

デクラークは娘の犠牲に感謝しています。
「これは奇跡です。本当にすばらしいことです。過去40年の全てがパズルのようにはまりました」とデクラークは言います。「すべて、こうなる運命だったのです。少なくとも、この地上にもう少しいることができます。」

 

この記事は元々はSydney Jorgensenによって書かれ、www.deseretnews.comに投稿されました。

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Rie

獨協大学で英語を学び、現在は海外関係の仕事をしています。小さな頃から自然を見ることが好きで、コンピューターの待ち受け画面はフェアリーリングにしています。
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