靴の裏にガムがついている様子

現代の文化では、日々与えられる個人の試練はよくあることです。それは、ネガティブな思考や疑心感、怒り、孤独、嫉妬、そして利己心などです。日常において目にすることの多いこれらの試練は、魂に危険をもたらし、悪い影響を与えるものになることがあります。そのような試練は、わたしたちを肉体的、精神的、感情的、そして霊的に弱めます。

経験するすべてのネガティブなことを非難しろ、と言っているわけではありません。しかし、わたしが言いたいのは、わたしたちの逆境に対する態度や対応の仕方によって、とてつもない満足感と継続する平安に導かれるか、不満と不平が続くことになるか決まるということです。

今経験している試練への反応が、これまで経験した試練の中で最悪のものにならないようにしましょう。以下に紹介する考え方を持つ人は多いですが、それは試練の状況を悪化させるミスで、わたしたちはそれに気づき、避ける努力をしなければなりません。

1) 手っ取り早い解決策

現代社会は手っ取り早い解決策に取りつかれたようです。商業社会は夢に描いた車や家、肉体を今すぐ手に入れることに常に重点を置いています。この「今日」や「今すぐ」への執着心は、楽さと喜びの概念を融合させてしまいました。しかし、永久に続く真の喜びに楽なことはあまりありません。手っ取り早い解決策は、わたしたちが成長するというもともとの目的を見失い、間違った点に焦点を当てることの原因となります。

たとえば、健康的な食生活と定期的に運動することの結果を急いで求めることで、痩せて見られるということではなく、健康になるというそもそもの目的を忘れてしまいます。しかし、わたしたちは運動や健康な食生活の理由を、体重に焦点を当てて考えます。その結果、むしろ肉体的、精神的、そして感情的に不健康になります。

それは霊的な原則でも同じです。神様から手っ取り早い解決策を望むとき、わたしたちは地上での経験の目的を見失ってしまいます。簡単だったり、完璧でないと人生を楽しむことはできないと思い始め、それは単に耐え抜く試練の一つだという見方をし始めます。試練や挑戦の目的は、わたしたちの内面に継続する変化をつくることだということを忘れてしまいます。

リチャード・G・スコット長老はこう言いました。「試練や失意、心痛には、基本的に異なる二つの原因があります。まず、神の律法に背く人々には常に苦痛が伴います。しかし、逆境のもう一つの原因は、わたしたちの人生において主御自身が目的を達成しようとしておられることから来るものです。それは、皆さんにさらに成長する準備ができた、と主が感じておられるしるしです。皆さんの成長と理解と思いやりに拍車をかけて皆さんを切磋琢磨し、そこから、永遠にわたる利益を勝ち得てもらうためです。皆さんが現在の状態から主が意図しておられる状態へと移るには、かなり背伸びをしなければならず、往々にしてそれが不快感や苦痛をもたらすのです。」

たいていの場合、最大の痛みをもたらすものは、最大の喜びをもたらすものでもあります。家族は想像できないほどの幸福を与え、わたしたちの最善な面を引き出してくれますが、それと同時に、家族はわたしたちをいらつかせ、傷つけ、離れさえもします。したがって、天のお父様がわたしたちのために涙を流されるとき、それはわたしたちへの御父への愛の現れです。わたしたちの痛みに対する御父の悲しみは壮大な愛の証拠で、それはわたしたちに、地上にいるのは試練を避けるためではなく、試練を活かすことや試練から喜びを得ることを学ぶためだということを思い出させてくれます。

2)人のせいにする

喜びと試練は敵対するものではありません。事実、その2つはお互いの上に成り立っています。メイベル・ガイエという女性の人生はその良い例です。メイベルはリベリアでの2つの内戦を生きた人です。ある夜、住んでいた村の銃撃戦から赤ん坊の娘を抱えて逃げている最中に、メイベルは草むらですくんでいた年下の3人のいとこに出くわしました。

その時からメイベルは難民キャンプでの空腹と、新しい国での生活への恐怖に直面しながら、その子供たちを自分の子供として育てました。メイベルの物の見方は試練の中で彼女を強め、平安をもたらしました。「内戦中、他の人は死んでしまったけど、わたしは神様に助けられた。だから神様に命を救ってくれてありがとうと言わなければいけない」とメイベルは言います。「神様に感謝しなければいけない。たくさん辛いことを経験したけど、神様がそばにいてくださった。」

メイベルのように、自分が辛い状況にいるにもかかわらず喜びを感じられるようになるためには、人生で起こる試練や誘惑を天のお父様やサタンのせいにするのをやめなければいけません。なぜなら、人のせいにすることは悪い気持ちや無力感につながるからです。
わたしたちは、周りを見て他の人のせいにするかわりに、天を見て、試練に立ち向かうために必要な自分の持つ神性や強さ、光を見つけるべきです。

3)自分でこなすという考え

不満や無力感は喜びを感じる妨げになり、必要のない痛みをもたらすことがありますが、満足や自立も同じ影響を持つことがあります。わたしたちの社会には、ときどき、すべて自分でこなさなければならないという危険な考えが存在します。

現代社会では、自分の力で成功した男女こそ人生の模範であり、彼らのようになれるよう努力するべきだとたたえる習慣があります。しかし、それはうわべだけで、成功を意味のあるものとしてくれる人たちや関係、特に創造における神の御手と神が与えてくださるすべての機会を認めていません。

わたしはスポーツをして育ちました。ですから、精神力の強さと自分の限界を超えることについての概念はよく理解しています。しかし、実際に肉体的に限界を超えて次の次元に進もうとするとき、体が悲鳴をあげ、疲労や痛みといったような様々な症状が出て、容易に気づくことができます。わたしたちは、霊的、精神的、感情的にそのような疲労を感じているときの症状にも、同じくらい注意を払っているでしょうか?

2010年にディーター・F・ウークトドルフ管長が総大会でお話された、この言葉が大好きです。「自分の価値はなすべきことの多さで決まると考えている人さえいます。不必要に生活を煩雑にするので、ますます欲求不満が募り、喜びは消えうせ、生活に意義を見いだせなくなってしまいます。賢明な人は、日々の慌しさに身を任せるという誘惑を退けます。そして『スピードを上げることばかりが人生のすべてではない』というアドバイスに従います。つまり、彼らは最も大切なことに焦点を当てるのです。」

キリストは、他のすべての事柄と同様に、これに関する完全な模範を示されました。イエス・キリストは天に、また地上にいる誰よりもなすべきことの多いお方です。わたしたちがミスをおかし、主に助けを求めるとき「それをしている暇はない」と言うのは容易でしょう。しかし、そうはされません。主はわたしたちをがっかりさせません。わたしたちのためにいつでも時間をつくってくださいます。主はわたしたちを、ひとりひとり癒してくださいます。

すべてのことをコントロールしようとする中で、わたしたちは不必要なストレスを生み出し、それによって人生の喜びを経験できなくなります。しかし、もし最も重要なこと、すなわち天の父母と救い主を愛し、彼らに仕えることに焦点を当てればすべてのことはうまくいきます。

人生において自分の力ではどうにもならないこともあるでしょう。しかし、そのような試練を軸に自分の価値を決めてはいけません。

人生でうまくいかないことを神様のせいにするべきではないのと同様に、自分を責めることもやめるべきです。自分の価値を認めないことによって余計な罪悪感やストレスを加えたり、すでに大変な時期に試練を増やさないようにしましょう。

わたしたちがこの地上にいる理由の一部は、打ちひしがれるためだということを理解してください。キリストでさえ、ゲツセマネの園で祈り、十字架にかけられたときには打ちひしがられていました。そのような辛い瞬間を愛する必要はありませんが、それらの機会に乗ずるべきです。試練を受け入れ、人格の一部としましょう。試練が自分の定義とならないようにしましょう。

大変なときは他の人に、特に天のお父様に助けてもらいましょう。主の憐れみ、愛、そして贖罪を喜んで受け入れましょう。

4)バランスの悪さ

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として、わたしたちは時に完璧を目指します。そしてそれはすばらしい目標です。しかし、完璧を目指す際、完璧という言葉の文化的な理想を目指すのではなく、個人の、霊的な完璧を目指すべきです。したがって、十分に痩せていないとか、力強くない、美しくない、賢くない、などと思い始めたら、やめてください。すでに成し遂げるのが難しいことに不必要なストレスを加えるのはやめて、どうかふさわしさとは欠点のないこととは違うということを理解してください。

わたしたちには欠点があります。それは事実です。しかし、ジェームズ・E・ファウスト管長はこう言いました。「わたしたちは自分自身を愛する必要があります。何もかもひっくるめてです」そして、人が自分のことをどう思っているかという心配をするのをやめる必要があります。代わりに、主はわたしたちのことをどう思われているのかに心を配る必要があります。

手っ取り早い解決策や、すべて自力でこなすという世間の極端な精神論のはざまで生きながら、俗に言う「矛盾者」になれるバランスを見つけるのです。ここでいう矛盾者とは、自立していながら自信を持って神様に従う者です。しかし、その徳質を身につけることに失敗すると、わたしたちは不満にあふれ、限界だらけの人生を送るリスクを負います。

喜びが大切で、楽しいと感じさせてくれるのは、はかない特性があるからだということを忘れないでください。そしてわたしたちは、神様を愛し、自分を愛し、他の人を愛することに焦点を当てることによって、その喜びを感じることができます。バランスをとることや、人生の歩み、そして経験するすべてのことに喜び、善、光、真理を探すことに集中しましょう。

あなたが喜びを探しているなら、信じてください。きっと見つけることができますよ。

この記事はもともとDanielle Beckstrom によって書かれ、ldsliving.comに”4 Mistakes We Make When Dealing with Trials (That Only Make Them Worse)” の題名で投稿されました。
日本語©2018 LDS Living, A Division of Deseret Book Company | Englsih ©2018 LDS Living, A Division of Deseret Book Company

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キャンベル葵さんは東京都出身です。ブリガム・ヤング大学ハワイ校で英語教授法を専攻しました。在学中は一時休学し、アメリカのテキサス州でモルモンの専任宣教師として奉仕活動をしました。料理や、手芸、エクササイズなど、様々なことに挑戦するのが好きです。
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