亡き父が描いた絵

絵画:

わたしの今は亡き父は、温厚で物静かで口数が少なく、絵の才能がある人でした。病気で仕事を辞めてからは趣味の絵に没頭し、多くの作品を残してくれました。わたしの4人の娘たちは、彼女たちの祖父であるわたしの父の遺伝子をしっかり引き継ぎ、4人とも絵が上手です。父は、娘たちが幼い頃に亡くなりましたが、彼女たちは小さいときから、父の絵に囲まれて育ちました。都合のいい解釈にすぎないのかもしれませんが、娘たちの絵を見ると、それぞれの自己主張しすぎない筆のタッチや、やさしい色使いから、父の影響力を感じずにはいられません。

ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこのように言われました。「父親の皆さん、皆さんには母親とともに、逃れられない責任があります。皆さんは子どもたちの父親です。あなたの遺伝子は永遠に子どもたちの遺伝情報の中に刻み込まれているのです。」(2000年10月総大会「あなたの子らの平安は深い」

娘たちには、わたしを飛び越え、彼女たちの祖父であるわたしの父の遺伝子が強く刻み込まれているようです。

なくてはならない存在

ヒンクレー大管長は、父親(そして母親)には逃れられない責任があると言われましたが、D・トッド・クリストファーソン長老は、父親についてのお話の中で次のように言われました。

「父親は神の幸福の計画においていなくてはならない存在です。(今日のアメリカ社会…で[は]…父親の重要性を無視したり,軽視したりする人もいます。)教会として、わたしたちは父親を信頼しています。『家族を最優先する男性(が)理想』であると信じています。次のことも信じています。『神の計画により、父親は愛と義をもって自分の家族を管理しなければなりません。また生活必需品を提供し、家族を守るという責任を負っています。』『父親と母親は対等のパートナーとして互いに助け合うという義務を負っています。』不要であるどころか、父親は特有かつかけがえのない存在であると、わたしたちは信じています。」(2016年4月総大会「父親」

父は生前、どの宗教も信じていませんでしたが、父なりの最善を尽くして家族を愛し、わたしを育て、物質的なものを十分すぎるほど与えてくれ、最高の教育を受けさせてくれました。口数の少ない人でしたので、心を開いた深い話をしたことはありませんでしたが、わたしは父から愛されていることを感じながら育ちました。

子供のころ、熱を出して腹痛に苦しんでいると、父は仕事から帰ってくるや否や、横になっているわたしのもとに来て心配そうにお腹をさすってくれました。父がさすってくれると、不思議と少しだけ痛みが和らぎました。また、満員電車の中で乗り物酔いになったときに、父にもたれると気持ち悪さが落ち着いていったこともありました。父のことを考えるときに、この2つの経験をいつも思い出します。

父は宗教を嫌っていたので、わたしがバプテスマを受けるときには反対しました。しかし、わたしが留学中に出会った人々や、地元である横浜のワードの宣教師たちの模範により、父の心は和らげられていきました。父は改宗することはありませんでしたが、わたしが伝道に出ることを前向きに考えてくれ、金銭的に支援すると言ってくれました。わたしは父から励まされたり、アドバイスや特別な言葉をかけられた記憶はないのですが、車でJMTCまで送ってくれたときに「辛くなったらいつでも帰って来い」と言ってくれたことをよく覚えています。2人の娘を伝道に出したとき、父がどんな思いで別れ際にそのような言葉をかけてくれたのか理解できるようになりました。わたしは、父が与えてくれる安心感に支えられて伝道を終えることができたと思います。とはいえ、自分は信じていない宗教の宣教師として子供を送り出すなど、父にしてみれば、どんなに不安で心配だったことでしょう。

最も重要な務め

さらにクリストファーソン長老は「父親として最も重要な務めは、自分の子供たちの心を天の御父に向けさせることでしょう。」と話されました。

わたしの父は教会員ではありませんでしたので、父からキリスト教の教えを学ぶことはありませんでした。しかし、父の大きな愛情は、わたしが教会についての教えを学び始めたときに天父の愛を思い描き、理解する助けとなり、福音を受け入れたいという望みを持つきっかけとなりました。キリスト教の教えを知らない父でしたが、娘の幸福を願い、最高のものを与えたいという望みを持って育ててくれました。結果、わたしが福音に出会ったときに、それが良いものであると感じられる心も育ててくれました。

続けてクリストファーソン長老はこう言われています。「日々の生活の中で神に忠実であるとはどういうことかを、父親が模範と言葉によって示すことができれば、その父親は子供たちに、この世における平安と来るべき世における永遠の命の鍵を与えたことになります。」

父は完璧な人ではありませんでしたが、父親としての責任を果たし、神さまから与えられた才能を亡くなる直前まで磨き続けるといった模範を示してくれました。生前、父は福音を受け入れることから得られる祝福を享受することはありませんでしたが、わたしがその祝福を得られるよう道を備えてくれたことに感謝しています。アメリカに留学させてくれたこと、それによりわたしは福音に出会い、伝道に出る機会を持ち、永遠の伴侶に出会い、神殿で結び固められるといった最高の祝福を受けました。

そして父の死後、父への恩返しとして、主キリストの贖いにより父の身代わりの儀式を行うことができたことに感謝しています。

父から愛されていると感じた気持ちは、父がこの世からいなくなったと同時に消えてなくなることはありませんでした。

父が亡くなってから13年が経とうとしていたある日、久しぶりに父の夢をみました。夢の中の父は亡くなる数年前の姿で、車椅子に乗っていました。その当時わたしの母は、重い脳梗塞で介護が必要だったため、アイダホに住むわたしの家の近所にあった介護施設に住んでいました。車椅子の父が母を見舞いに来てくれるという夢でした。その夢は鮮明にわたしの記憶に残り、目の前で起こった現実の出来事のように思えました。夢の中ではあったものの、実際に父と再会できたような喜びを感じ、目が覚めると、わたしは涙を流していました。母が病気になってから心身ともに疲れ切っていたので、夢の中での父との再会は喜びだけでなく、励ましと慰めでもありました。それ以来、父は頻繁にわたしの夢に現れるようになりました。夢の中で、いつもわたしたちはどこかへ行くために歩いていたり、乗り物に乗っていました。言葉を交わすことはないものの、一緒にどこかへ行くことが嬉しくてワクワクしているようでした。同じような夢を見るようになって2ヶ月ほど経ったころ、なぜこんなに亡き父の夢ばかり見るのだろうかと考えました。もしかすると、母はもう長く生きられないのではないか、父が見守っているので心配しないようにといったメッセージなのかもしれないと思いました。するとその日から父は夢に現れなくなりました。それから約1ヶ月後のある日、突然母の容態は悪化し、翌日の朝、母は亡くなりました。この夢と母の死の関係性は偶然の出来事か、それともわたしの勝手な解釈なのでしょうか。少なくともこの夢の経験から、父がまだ生きていたころ感じていた愛されている安心感、温かい気持ちを感じることができたことは事実です。

御業

「父親を完全かつ神聖な言葉で表現すると,天の御父です。御父の特質また属性として豊かな慈しみと完全な愛があります。御父の御業と栄光は御自分の子供たちに成長と幸福,永遠の命をもたらすことです。この堕落した世における父親たちは,高い所におられる威光の御方とは比較になりませんが,最善の状態で御父のようになろうと努め,実に御業に携わっているのです。彼らは大いなる心からの信頼という栄誉を受けています。」ーD・トッド・クリストファーソン

亡き父は、自分の理解と力の限りを尽くして、父親としての責任を果たしてくれました。今でも幕の向こう側から娘のわたしのことを気にかけ、見守っていてくれていることに感謝しています。

 

この記事は、スミス 寿子によって書かれました。

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スミス 寿子

スミス寿子さんは、横浜に生まれました。17歳のときに、ユタ州で一年交換留学生として過ごしました。その後、リックス・カレッジ(現在のBYUアイダホ)、BYUハワイで学び、最終的にBYUプロボで卒業しました。夫と4人の娘がいます。趣味は、編み物、料理です。特にヴィーガン料理に興味を持ち始めて色々試すことにはまっています。
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